アスベスト対策

TOPへ戻る

労災保険メリット事業所に職業病労災を適用

東京土建一般労働組合 松舘 寛

建設労働のひろば106号(18年4月)(PDF3,260KB)

建設労働災害における労働者性について

東京土建一般労働組合 松舘 寛

はじめに

 労働基準法における労働者の定義は「第9条この法律で『労働者』とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者をいう」。事業所に所属している会社員はこの二行で労災要件が成立する。
 しかし、建設労働者は賃金労働と請負労働が混在し、一元的には労働者性が担保されない。そして、労災保険は「現場」が適用となるため、建設労働者は厚生労働省が規定する「労災適用『現場』が転々とする労働者」となる。この二つの労働者性を乗り越えなければならないのが、遅発性疾患(職業病)の労災認定である。労働者災害補償における労働者性の具体的な申請事例から考察する。

 

1 建設労働者の就労実態

 一昔前の町場での建設労働者は町場型の立志意欲が高く見習い(弟子)→職人→親方→棟梁という図式で労災保険も解りやすかったが、現在の建設現場は働く階層が複雑になっている。大手野丁場は重層下請構造で労働者性を特定しやすいが、他方で。請負の経営体が子会社的、専属会社的、グループ請け、一人親方などと複雑になっている。職種によっては町場、住宅企業、大手野丁場をクロスしながら働く労働者もいる。ある組合員が、手が空いたので違う現場に現場カードで入場したら「あなたはA社の所属社員になっている登録が有るから入場できない」と帰らされたと笑えない話も有る。働く階層所属が不明確になり自分自身が労働者なのか一人親方なのか特定できない組合員も多くいる。

 

2 災害性労災における労働者性事例

 災害性での労災は比較的、労働者性を争うケースが少ないが、「一人親方か労働者か」ということと「契約関係の履行」が争点になる。それと「建前時の労働者か非労働者」かという問題もある。

 

(1)青色申告者での労働者認定

 A支部のGさんは、大手下請けや公共工事もおこなう電気工事事業所で働いていた。Gさんはある現場で電撃傷に遭い後遺障害が残る大怪我をした。事業所は20人のうち14人が源泉しGさんは6人の確定申告者の一人だった。Gさんは屋号も持つ事業申告の青色申告者で奥さんを専従者控除にしていた。
 ○経過
 労基署との交渉で、申請人の主張の第一は、請求書(出ずら)の殆どが人工、第二は、何故に確定申告だったのかを入所時経過から会社設立時にさかのぼってA4二枚に書いた経過報告書を提出した。内容は、会社設立時は源泉をする事業力がなく労働者には確定申告をお願いし、その後に会社が軌道にのり新規者から源泉するようになった。日常業務は全員が会社の指示命令で働き帰宅時は必ず会社に連絡をいれる。会社側は使用従属、器具機械の提供、材料支給などの証拠を提出した。
 ○結論
 労基署は会社提出の報告書を重要視して、「実態をみて総合的判断」で労災認定。青色申告者は事業主性が強いのですが、労働実態を詳細に調査することの重要性が認識された案件。

 

(2)請負労働者の労働者性否定

 I支部、内装工のKさんは長年継続的に仕事をもらっている会社よりマンションクロス張りを請ける。作業中に脚立から転落して負傷。事故時は元請会社が労災を示唆。療養・休業補償申請する段階で会社は「労働者性を否定」。支部では指揮命令、専属性もあると労基署に労災申請。
 ○経過
 労基署は労働者性を否定し不支給。組合、申請人は労基研報告を基にした調査を要望。審査請求でも棄却。再審査請求でも認められず。
 ○結論
 棄却理由「本件の請求人は、本件会社との関係において、使用従属性に関して、諾否の自由が認められ、指揮命令については通常注文者が行う程度の指示にとどまっており拘束性については薄く、代替性については不明であり労務の対償性については認められず、補強する要素に関して、事業者性については、機械器具の負担関係では認められ、報酬の額では認められなく、労働基準法第9条の労働者とは認められない」と裁決された。手間請け労働者の「労災補償上の労働者実態証明の難しさ」が残った案件。

 

(3)一日のみの仕事で死亡事故

 筆者が本部大会に出席している時に組合員の転落死亡報告が支部労災担当職員から入った。組合員は一日だけ依頼されたとのこと。一日の労務費を確認したら口頭約束とのことだった。ただちに「雇入れ通知書」作成を指示して現場に向かった。
 ○経過
 事故現場確認したところ屋根工事で畳ぐらいの大きさの材料を持ち上げた時にバランスを崩して転落したと思われる。請負った工務店の常用労働者もいたが作業中なので転落を現認する人はいなかった。警察の現場検証で犯罪性が無く、労基署に移った。
 ○結果
 労基署は請負か労働者かが争点になった。労働者性を強くする「雇入れ通知書」に就労場所、雇用期間、一日の日当が記載されていることが決め手となり遺族年金が認定された。口頭契約も契約だが口頭だけでは「死人に口なし」なので「雇入れ通知書」が有効だったと推測さる。

 

(4)建前時の死亡事故で労災認められず

 M支部の組合員Gさんが新築建前現場での死亡の連絡が入った。元請現場の工務店はE支部に所属していた。支部は労災事故と考えていたがE支部より「労災では無い」との報告に驚いた。
 ○経過
 E支部の工務店によると、下職のGさんは「仕事でなく応援できていた」と労基署に報告。労基署は亡くなったGさんからの事情聴収ができないので事業所の主張を全面採用。
 ○結論
 工務店協力でお祝いを兼ねた応援ということで業務性がないので「労働者では無い」と労災不支給。Gさんは死に損となった。お祝いを兼ねた応援の場合でも奥さんでも良いから「一日の労働単価」を伝えておくことが教訓となった事件。

 

3 遅発性(非災害性)労災の事例

 石綿職業病での労災認定のばく露期間は、中皮腫で1年以上、原発性肺がん10年以上、石綿肺でばく露従事の半数年以上となっている。遅発性なので若い時からの職歴と労働者期間を証明しなければならない。申請人は高齢者が多く資料が少ない人も多い。さらに事業を止めた事業所も多い上に、申請人のご主人が亡くなり、奥さんが遺族請求する場合もある。証拠収集には粘り強さが求められ支部の力量も問われる。

 

(1)転々労働者の労災申請

  A支部のSさんは戦後の焼け野原でブリキ職人の親方に身を寄せる。下町地域を職域として12歳から74歳まで62年間ブリキ職人、板金、屋根職人として働いた。典型的な手間請け転々労働者。
 ○経過
 一定の事業所で長期間働いた経験が無い。まさに転々手間請け職人。休業補償申請とともに事業所従事者証明、同僚証明を計11枚を資料申請。申請人は組合と強い関りがあったため同業組合員と旧知の間柄。転々労働者というより点々労働者に近い。この転々労働をつなげられたのは申請人の人柄と記憶の正しさだった。
 ○結論
 建設労働者のなかには「こんな仕事できない」と啖呵をきって関係悪化で辞める職人が多いが、申請人は生きる道は「他人と上手くやる」ということを幼少時に経験したのか、どこの事業所でも好意的に証明してくれた。労働者で認定。

 

(2)死亡後の労働者性追求

  D支部のNさんは原発性肺がんで死亡。労災申請を助言するが、若くして罹患したこともあり「自暴自棄」状態。労災申請に必要となる職歴のメモは数行。奥さんは結婚前の職歴は一切不明。塗装工として自営の時期あり。
 ○経過
 残されたメモを頼りに職歴探し。働いていた地域の支部のパソコンで氏名検索をして個々に訪ねる。解体会社で厚生年金記録3年分の証明。過去に塗装工事をしていた不動産会社で「亡き夫の伯父の塗装工と聞いています」の証明。同僚がいるというので木造アパート訪問。通算20年ぐらいの労働者期間を確認し労災申請。
 ○結果
 労災申請して7か月、労働者で遺族年金請求が認定。厚生年金記録が二年余りだったが有効な記録であった。申請人が証拠提出した場合は、労基署が反証するには存否を明確にしなければならない。そのような観点から少しでもより多くの証明や資料、写真、記念品などが有効となる。

 

(3)審査請求で逆転労災認定

  K支部のF組合員でアスベストによる肺がんで労災申請。働き方は住宅メーカーの現場で出たボードや木材のごみ捨て場の管理。週5〜6日勤務で指揮命令下に置かれていたが、会社より「屋号」を付けられ「自分で労災保険に入れ」と言われ請負形式にしようと住宅メーカーは動いていた。不自然に感じたFさんはK支部に相談。「Fさんは労働者だから、一人親方に入る必要がありません」と言われて入らなかった。住宅メーカーは「労働者ではない」と休業申請に押印拒否。K支部では事業所印は押されないまま労災申請。
 ○経過
 労基署は住宅メーカーの「屋号」などを全面採用して労働者性を否定して不支給。K支部と申請人はただちに審査請求。
 ○結論
 支部と申請人は、改めて出面や「給与明細」を調査収集。その時に労働者性の決定打になったのは、F組合員の几帳面な性格。自分でノートに9:00〜17:00というように毎日出勤簿を付けていた。規則的な出社時間と退勤時間、休みの日は本社の担当者が代理で倉庫を管理するという就労形態がつぶさに判明できた。
 請求人尋問では審労働者災害補償保険審査官が申請人の主張を充分に聞いた。審査官も「これはどう見ても労働者ですね」とその場で言った。審査官は形式労働者性ではなく、実態の労働者性で判断。労基署決定をくつがえし労災認定。現場就労実態を裏付ける証拠確保がいかに重要か問われた。

 

(4)労基署の形式的判断で不支給

 K支部の内装工のアスベスト被害者が60歳を前に肺がんで死亡。20歳ごろよりS設備会社で就労。30歳半ばで元請が工事指名の時は請負う半独立。その後、独立するが事業主労災に未加入。胸膜プラークも有り職業病として労災申請準備。原発性肺がんの認定は労働者期間が10年なので、S設備会社での就労実態が焦点となった。
 ○経過
 遺族請求する申請人宅で当時の給与明細を発見。給与明細には残業、手当が計算され材料・道具の記述なし。会社が推奨経費負担した施工管理技士資格証なども探し出す。古い年賀はがきで当時の友人も解る。S設備会社の労働者として労災申請。
 ○結論
 労基署は現存するS設備会社を調査。担当官は「会社では外注として帳簿に記帳。同僚証明者は手間請けとして働いていたと証言」との理由で労働実態を充分に調査しないで不支給決定。担当官と面談し、労基研報告との照合で労働者性を主張したが、担当官が労基研報告の存在を知らなかった。現場実態の総合的判断では無く、「会社が外注としている」「手間請け」は請負(事業主)という形式的判断。手間請者は工事の材料費を負担せずに労務費だけを請負う者という概念を知らないことに驚愕した。事業継続している事業所と遺族の証拠提出では事業所の調査結果を優先することが判明した。
 再審査請求で「労働者とは何か」を争いたかったが、申請人がこれまでの労苦から審査請求を出来なかったことが惜しまれる。

 

4 シルバー人材センターと労働者性

 東京土建の高齢組合員は現場入場制限などで、「軽い仕事ができる」ということから、各支部でシルバー人材センターに登録する組合員が多くなった。東京土建の組合員には事務的依頼は無く、大工仕事や樹木伐採、建具の仕事依頼が多い。建設業は事故が多い職種であり、高齢になれば転落が多く重大事故も発生する。このような事故がS支部で起こった。建設労働組合として看過できない問題を含んでいる。

 

(1)事故発生状況

 S支部組合員のAさんはシルバー人材センターへ登録。シルバーセンター会員になったら他の仕事をやめるという規約にしたがう。2日間の工程を3人で樹木の剪定作業を受けた。リーダーのもと、高さ5メートルの脚立で作業中に転落し頸椎骨折をし意識不明の重体。1か月後に死亡。

 

(2)シルバー人材センターの概要と態度

 シルバー人材センターは「請負」形式なので、雇用関係がないので労災保険適用はない。見舞金制度で対応する。

 

(3)遺族と支部が労災申請

 Aさんは自分の仕事をやめてシルバー人材センターの「専属会員」になった。そのことから一人親方労災保険も脱退。遺族と支部ではシルバー人材センターが労災保険を認めない中で、労基署に労災申請。

 

(4)遺族・支部・本部で労働基準監督署要請

@使用従属性に関する判断基準(指揮監督下の労働)
 S区シルバー人材センターへの入会要件のなかに就業規約がある。
A業務遂行上の指揮監督の有無
 センターは、ご契約主と「仕事を完成させる」という請負契約が発生しますが、会員は指揮監督下で従事している。
B報酬の労務対償性に関する判断基準
 センターのご利用料金の一例として植木・剪定は1日/2名/一組で32.080円より(梯子込み)と日給が示されていて、会員は「請負概念」と乖離している。
C以上のことからも労働者性が確かなことから労災を認めてほしい。

 

(5) 結論

 申請人と組合は実態を労基研報告の使用従属性に関する判断基準、業務遂行上の指揮監督の有無、報酬の労務対償性に関する判断基準に合わせてみましたがすべてに合致するものです。
 しかし、労基署は労災不支給。理由はシルバー人材センターは「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」に基づいているので労災保険はなじまない。
 しかし、死亡事件が発生して補償もお見舞金になっている。組合員の登録が多くなると予測されるなかで、なんらかの法整備が必要である。

 

5 まとめ

 首都圏建設アスベスト訴訟、神奈川ルートの2陣地裁と1陣高裁のW判決がくだされた。いろいろな成果があったがそのなかで、一人親方として認められなかった原告のなかで、地裁で1人、高裁で7人が労働者として認められた。判断理由は「必ずしも労務提供の法形式にとらわれることなく、指揮監督下の労働という労務提供の実態からみた使用従属関係に注目して判断されるべき」(東京高裁判決要旨)。
 この裁判を通じて法形式にとらわれなく労務提供の実態で判断したという判決は大きな獲得成果といえる。労基署、審査請求、再審査請求でも「実態より法形式」で判断されている例が多い。労災認定を支援する組合が「一人親方と労働者」の労働実態を詳細調査することが求められた判決ともいえる。組合としてこの成果を生かして行かなければならない。

 

 資料1

1 労働災害補償法

 労働者災害補償保険は、昭和22年4月7日(法律第50号)業務上の事由又は通勤による労働者の負傷、疾病、障害、死亡等に対し保護をするために保険給付を行うことを目的に制定された。
 建設労働者に影響が高い特別加入制度は、昭和40 年6 月11 日に労働者災害補償保険法の一部改正が行われ、その後、三次にわたり施行された。中小企業の加入促進と保険事務処理の効率化のための労災保険事務組合制度の新設、中小事業主、一人親方等の特別加入制度の新設等制度全般にわたる大幅な改善が行われることとなった。
2 労働契約等法制部会労働者性検討専門部会報(「平成8年労基研報告」などと呼ばれています)

 労基署の労働者性を判断するものとして「平成8年労基研報告」が指標となっています。この報告については学者間では学説的見解は一様ではないが、労災申請ではこの報告が基本となっているので無視することはできない。
3 労災保険は「総合的判断」

 労働者性が困難な労災申請には、労働者性の判断基準となる使用従属性、報酬の労務対償性、補強となる要素の機械、器具の負担関係、報酬の額、専属制の程度などを準備し「総合的判断」に耐えうる資料をととのえる。
 特に職業病(遅発性)労災申請では資料が希薄な場合は、大手現場での入所カード、資格、褒章などの賞状、建前時、事業所の宴会旅行、実際に建てた建築物などの写真も総合的判断を補強するものとして有効である。

 

 資料2

シルバー人材センターのおもな事業の仕組み

請負又は委任による就業

 センターは発注者から高年齢者にふさわしい仕事を請負契約又は委任契約により引き受け、センターはその契約内容に従って仕事を完成させます。

発注者と就業する会員との関係

 発注者と就業する会員との間に雇用関係はありません。発注者は、就業する会員に対して指揮命令権はありません。

安全対策と保険制度

 センターは、受注した仕事の遂行に当たっては、十分な安全対策を講じています。万一、仕事中に会員が傷害を受けたり、 発注者等に損害を与えた場合に備えて、民間の損害保険(センター団体傷害保険、総合賠償責任保険)に加入しています。

足立支部の池内裁判勝利が石綿肺がん訴訟9連勝への一歩

東京土建一般労働組合 松舘 寛

はじめに

 

「救済法ができても救済されない仕組はおかしい。私が認定されることで多くの被害者が救済されるようになれば良いと思います」とNHK首都圏ネットワークテレビで話したのは池内裁判の足立支部原告池内康子さん。池内裁判勝利以後に全国のアスベストによる肺がん労災認定裁判で8回たたかわれすべてが勝利しています。池内裁判の勝利がどのように影響をしたか考察します。

 

1 初めに池内裁判とは

(1)平成18年3月27日、石綿健康被害救済法が施行
 当時の環境大臣小池百合子は「全てのアスベスト被害者を隙間無く救済する」と石綿救済法制定。法律の概要は、石綿による健康被害の特殊性にかんがみ、石綿による健康被害を受けた者及びその遺族に対し、医療費等を支給するための措置を講ずることにより、石綿による健康被害の迅速な救済を図ることを目的とすること。(1)労災申請を5年以上さかのぼってできる。(2)労災対象外は環境保全再生機構で救済。
 工務店自営で大工だった池内甚一郎さんが平成11年10月20日肺がんで死亡した。救済法施行で労災申請が可能になり、東京土建足立支部の池内康子さんが平成18年6月29日に足立労基署に石綿肺がんによる労災申請。これが池内裁判。

 

(2)池内康子さんの遺族年金給付労災申請経過
 平成18年12月15日不支給決定、平成19年12月27日審査請求棄却、平成20年4月1日再審査請求(労働保険審査会) ほとんどの棄却理由は「アスベスト粉じん作業従事はで認めるがカルテだけでは医学的に認められない」。平成20年10月1日東京地方裁判所に提訴(事件番号平成21年[行ウ]503号 担当民事19部)。
 平成24年6月28日東京地方裁判所、原告池内康子さんの主張を認める勝利判決。

 

2 池内裁判での原告の主張

(1)救済法の趣旨にそってアスベスト労災認定(島津決定)
 足立区内のブレーキ製造会社で働いていたA(女性)さんは研磨工としてはたらき昭和63年に肺がんで死亡。カルテやフィルム、病理組織検査報告書など全てなし。ただ一点は当時の同僚のなかに胸膜プラークの存在を認める。認定理由は「医学的資料は死亡診断書以外破棄されているが総合的に判断すると石綿健康被害救済法の対象疾病とすべきである」と審査請求で認定。

 

写真(2)医学的にもカルテから石綿肺が認められると主張
 故池内甚一郎さんの入院カルテを海老原医師が精査したところ「honecomb(蜂窩肺)」の記載を確認」。「所見から石綿肺が罹患している蓋然性が高い」「救済法の精神からも疑わしきは救済すべき」と意見書提出。医証としては強く採用されなかったが、その後の医学的知見としてひろがる。

 

(3)海老原医師によるレントゲン撮影で二人の同僚にプラーク所見
 裁判進行のなかで故甚一郎さんの二人の同僚に海老原医師からレントゲン撮影をしてもらったところ二人からプラークの所見。証拠提出。「建築現場の同条件で働いていた同僚にプラークがあるということは原告にも石綿肺がんにも罹患しているので救済法の趣旨から追認すべきである」と海老原医師の追加医証を提出。

 

(4)若い弁護士と支部が一体になり立証
 東京土建足立支部の顧問弁護士事務所は北千住法律事務所。司法修習生から弁護士になったばかりの若い二人の奮闘も見逃せない。生前に使用していた事務所のなかの全ての工事現場、使用建材名まで記載された資料は段ボール10個以上はあった。この原資資料を正月休み返上で整理し体系化した。同僚であり従弟の足立支部副委員長の池内政一さんは全面的に協力した。その建材を加工・取付工事する再現ビデオも撮影し裁判所に提出。

 

(4)藤井医師が被告人尋問で決定的証言
 最終期日で証人尋問の藤井医師が多岐にわたる証言をした。特に被告側が提出した「CT解剖学事典」の胸膜プラークの項については「石綿関連疾患について強い関心や知識を有していたと推認は困難」と判決文に記載させるほど藤井医師の知見が勝った。被告証人は労災病院の院長だったが、レセプト情報からの医学的立証、同僚のプラークからの推認立証など藤井医師は攻勢的だった。裁判長の原告尋問に「同僚二人にプラークがあったとすれば池内さんにもあったことは否定できない」という原告証言を得るまでになりました。
 この期日を傍聴した東京土建足立支部のみならず各支部の支援組合員も勝利判決を確信。

 

(5)最終公判では裁判官から被告証人尋問
 6月28日、午後3時東京地方裁判所の法廷で「足立労働基準局の特別遺族年金を支給しない旨の処分を取り消す」と判決がくだされました。その後、厚生労働省(東京労働局)が控訴を断念。

 

(6)医証が十分でなくてもアスベストばく露環境から推認
 この裁判の教訓は、アスベストという長い期間にわたるばく露就労による罹災は医証の確保や認定判断は困難性がある。そのため直接的医証がなくても状況的医証や就労状況から判断すべきというものだった。

 

4 同時期に全国で石綿肺がん8人の提訴がおこなわれた

 提訴時期は平成20年1人、平成21年が3人、平成22年2人、平成23年1人、平成24年1人、平成26年1人。神戸地裁が4人、東京地裁が3人、大阪地裁・岡山地裁各1人となっています。職種別では建設大工4人、港湾(検数)2人、航空・造船各1です。提訴要件は労災不支給が7人、救済法(時効労災)不認定が2人でした。

 

(1) 9人の提訴争点
 争点は認定基準に合致しているか、石綿ばく露の有無、業務起因性の3点に絞っている。3点の考察となるばく露指標を(1)石綿肺有無、(2)胸膜プラークの有無、(3)石綿小体の本数、(4)石綿計測の本数の4点となっている。

 2006年通達  石綿による疾病の労災認定基準の改正について (抜粋)
2  肺がんについては、これまで石綿肺の所見が得られない者に発症したものは、胸膜プラーク、石綿小体又は石綿繊維が認められるとの医学的所見が得られ、かつ、石綿ばく露作業への従事期間が10年以上あるものを業務上と認定していたが、石綿小体又は、石綿繊維量が一定量以上認められたものは、石綿ばく露作業への従事期間が10年に満たなくても認定することとしたこと。

 

(2)ばく露指標の4点を9人から見てみる
(1)石綿肺有無=石綿肺なしが7人、争いが2人
(2)胸膜プラークの有無=胸膜プラークなしが5人、争いが4人
(3)石綿小体の本数=計測なしが2人、741本、1.230本、469本、2.551本、918本、998本、1.845本の7人。
(4)石綿繊維計測の本数=計測なしが4人、1μ54万本・5μ12万本、1μ255万本・5μ51万本、1μ137万本・5μ25万本、1μ243万本・5μ5万本(未満)。

 

表

 

(3)石綿肺がん労災認定要件(一部省略)

石綿所見 じん肺法の第1型以上の石綿所見。
胸膜プラーク

 1 胸膜プラーク所見+石綿ばく露作業従事期間10年以上
2 広範囲の胸膜プラーク所見+石綿ばく露作業従事暦1年以上
3 石綿小体または石綿繊維の所見+石綿ばく露作業従事暦1年以上
* 石綿小体が乾燥肺重量1g当たり5.000本以上
* 石綿小体が気管支肺胞洗浄液1mI中に5本以上ある
* 1μmを超える大きさの石綿繊維が乾燥肺重量1g当たり500万本以上ある
* 5μmを超える大きさの石綿繊維が乾燥肺重量1g当たり200万本以上ある
* 肺組織切片中に石綿小体または石綿繊維がある。

 

(4)認定要件と申請
 9人を見てみると4つの認定要件に照らすと石綿肺の争い2人で胸膜プラークの争いが4人、石綿小体、石綿繊維の労災認定要件を満たしている人はいない。このような条件可なので労災不支給、審査請求、再審査請求棄却から裁判に移行したことになる。

 

(5)9人の裁判勝利について

写真 裁判に移行した9人は医学的な資料がない人と認定基準に満たないアスベスト被害者だった。全員がアスベストばく露現場で働いていることは認められている。医証が不十分だが同僚にプラークの所見や労災認定者がいるという就労関係者を同一と認められたのが1番の池内さん、4番の港湾労働者、7番の型枠大工、8番の大工、9番の造船労働者といえる。労災認定要件の解釈。「石綿小体又は石綿繊維量が一定量以上認められたも」の理解を一定量以上とあるのは量的数値は厳密なものではないという解釈で2番の港湾労働者、3番の製鉄労働者、5番の航空労働者、6番の大工となっている。

 

4 司法は行政認定判断基準を超える総合的判断
 池内裁判の古久保裁判長は「形式的には認定基準を充たすものではないとしても、有力な間接的な事情が存在するといえるものは認定基準を充たすのに準じる評価をすることが相当である」との結論をしています。

 

5  まとめ
(1)形式論よりも総合的な判決

 池内裁判の判決が次のように下された。判決文の骨子。「平成11年当時の亡甚一郎の胸部エックス線写真及び胸部CT画像上から胸膜プラークの存在がうかがえなかったとしても、そのことから、直ちに同人に胸膜プラークが存在したとしても、そのことから、直ちに同人に胸膜プラークが存在しなかったといえず、単に画像状検出されなかった可能性も相当程度あるといえること等の事情を総合考慮すれば、形式的には『胸部エックス線検査、胸部CT検査等により、胸膜プラークが認められる』との認定基準を充たすものではないとしても、亡甚一郎に胸膜プラークが存在する可能性を示す有力な間接的な事情が存在するといえるのであり、本件認定基準を充たすのに準じる評価をすることが相当である」と司法的判断が示された。

 

(2)先行的判例が後の裁判につながる
 判例は、「先例」としての重み付けがなされ影響を及ぼします。その根拠として「法の公平性維持」が挙げられます。つまり、「同類・同系統の訴訟・事件に対して、裁判官によって判決が異なることは不公平である」という考え方です。池内裁判より早く提訴した事件は3件なのに、池内裁判がH24.6.28に勝訴したあとH25年に3件、H26年に3件、H27年1件、H28年に1件が勝訴している。池内裁判の判例が影響したとすれば嬉しい。
 原告であった池内康子さんが「私が認定されることで多くの被害者が救済されるようになれば良いと思います」という裁判への思いと決意、東京土建足立支部の「救済法とは何か」という救済法の根源的課題へのたたかい。池内裁判の判例が、多くのアスベスト被害労働者の裁判闘争に影響を与えた意味はあると思います。
 初めての一歩が大きな道をつくる。

一人親方の労災事故の現状と対策

――― 転落・墜落を減らすために ――――――

松舘 寛

1 東京土建の一人親方の労災事故の現在と10年前
 建設業現場が大きく変容期にあるなか社会保険未加入問題で「一人親方」化が進んでいます。ここでは一人親方とは何かという議論は横に置き、労災保険加入者の一人親方労災の労災事故を見てみました。
 東京土建各支部の2006年労働保険一人親方労災加入者は11,047人でした。2016年度の一人親方労災加入は16,647人でこの10年間で5,600人増えました。特にこの一年間で600人が爆発的に増えました。このようななかで一人親方労災事故がどのように推移しているかをみました。

 

2 一人親方の労災事故の要因

2006年 件数 2016年度
転落・墜落 90 17 95 19
転倒 83 15.7 79 15.8
激突 16 3 21 4.2
飛来・落下 34 6.4 30 6
倒・崩壊 5 0.9 4 0.8
電動工具 57 10.7 53 10.6
切れ・こすれ 59 11.1 55 11
踏抜き 9 1.7 5 1
感電 0 0 2 0.4
交通事故 13 2.4 16 3.2
動作の反動 102 19.3 80 16
そのほか 61 11.5 58 11.6
 合計 529   498  

 労災事故の要因を10年前と比較してみると、ほとんど同じように推移しています。一番多い転落・墜落は17%から19%に増加し微増しているのが交通事故です。あとの転倒、激突、飛来・落下、電動工具などはほとんど同じです。このことは10年間で安全対策が抜本的に変化していないといえます。
 東京労働局の労働者(一人親方統計はなし)の平成27年の私傷病災害で多いのは墜落・転落が474人で37.8%を占め、死亡災害の40.7%は建設業で死亡事故は26人です。墜落・転落が38.8%を占めています。
 厚生労働省統計の全国の一人親方の死亡災害は32人で墜落・転落が22人でまさに68.7%を占めています。墜落・転落の起因別では足場工事で10人、屋根、はり、もや、けた、合掌工事で6人、建築物、構築物等が4人、建設機械などが1人、はしご等1人になっています。
 一人親方組合員の転落・墜落は2006年が90人、2016年が95人になっています。この数字からみられることは2016年の墜落・転落した95人は「たまたま運よく助かった」だけであり、かろうじて死亡災害から免れたと考えた方が良いといえます。
 厚生労働省は「墜落防止用保護具に関する規制のあり方に関する検討会」を続けています。フルハーネス型安全帯の使用を義務付けることで概ね一致しました。全建総連では全建総連価格で普及を始めています。東京土建労働対策部でも積極的に進めています。

 

表

 

3 一人親方の安全教育は誰の責任

一人親方等団体の運営について(留意事項)
<抜粋>
2 団体の活動
(1)団体規約、事務処理規定、災害防止規定
(2) 組合員に団体規約、事務処理規定、災害防止規定を配布する。
(2)労働災害防止活動
団体自身で災害防止活動を実施するか、協力会社等に委託して災害防止活動を実施しても良い。
(3)労災保険請求手続き
団体を事業主とみなすため、一人親方等の労働災害について労災請求手続きを行う。

 

 東京土建の各支部では国から認可を受けた労働保険事務組合を設けています。これは事業主と委託契約して労災事務を執り行っていねものです。一人親方はこの労働保険事務組合とは別に一人親方団体を運営しています。解りやすくいえば労働保険事務組合と一人親方団体は別組織ということです。一人親方は労災保険を掛けられないので有志が集まって運営して運営団体が事業主の役割を担います。
 一人親方団体には運営についてという留意事項が課せられています。表が一部抜粋したものです。この団体活動のなかに「災害防止規定」が定められています。数年前から一人親方団体への確認・点検が労働局から指導が強まっている背景にはこのことがあります。支部の中には「一人親方労働安全衛生大会」の開催が始まっています。
 インターネットなどで任意団体による一人親方団体が増えていますが「労働災害防止活動」をおこなっているか疑問を残すところです。全建総連傘下組合の組合は労働保険事務組合の認可を得て「一人親方団体」を設立しています。未加入者に説明するときはにはこの「確かな団体」であることを強調すべきです。

 

4 建設工事従事者安全健康確保推進法
 H28年12月9日の衆議院にて全会一致で可決成立し3か月後に施行されることになりました。この法案には全建総連の要望・意見を取り入れられ建設工事従事者の概念に一人親方も含まれました。
 基本政策は(1)建設工事の請負契約における経費(労災保険料を含む)の適切かつ明確な積算、明示及び支払いの促進。(2)責任体制の明確化(下請け関係の促進)。(3)建設工事現場における措置の統一的な実施。(4)建設工事の現場の安全性の点検等。(5)建設工事従事者の安全及び健康に関する意識の啓発。
 ここで安全・健康確保法が手薄だった一人親方も建設工事従事者に含まれることが大きな成果でもあります。
 日本建設職人社会振興連盟の小野理事長は「職人の転落などの労災死亡事故が多く、特に一人親方の労働安全の確保や職場環境の改善が大きな課題でした。」と述べています。
 尚、この法の細目は今後審議されるということです。細目に対する要望は全建総連を通じて現場建設労働実態を伝えてもらうためにも、労働災害の原因や対策を進めなければならなりません。

似鳥再審査請求・衆議院総務委員会第21号

労働保険審査会 殿

平成26年7月14日
平成26年労第76号
請求人 似鳥 豊子
代理人 松舘 寛

 

再審査請求理由書

 

第一 標記の件について、原処分庁業務遂行性は認めているので業務起因性を争うものである。業務起因性のなかで、労働基準法施行規則別表第一の二第5号及び7号を争うものである。

 

第二 じん肺所見については、「管理区分1」か「管理区分2」を争うものである。請求人はじん肺1型で管理区分2であり原発性肺がんであるため、労働基準法施行規則別表第一の二第5号に該当するゆえに業務上災害を主張するものである。

 

第三 審査請求では東京労働者災害補償保険審査官にたいして公平で正確な判断をもとめて、そのひとつとして申請人の意見書を考察することを望んできたものである。

 

第四 公平で正確な判断をもとめる理由を次の二つを主張する。

 過去の裁決に学ぶもの
(1) 平成20年労第904号石綿救済法再審査請求事件 再審査請求人 池内康子は棄却を受けた。労保会収第88号平成21年4月1日労働保険審査会にて棄却の裁決を受けた。付加的判断として「医学的所見に関する判断により決定されるものである」。

(2) 国に対して訴訟を行った。平成21年(行ウ)503号 特別遺族年金不支給処分取消請求事件。

(3) 裁判所の判断
 「亡甚一郎の胸部エックス線写真及び胸部CT画像上から胸膜プラークが存在がうかがえなかったとしても、そのことから、直ちに同人に胸膜プラークが存在しなかったとはいえず、単に画像上検出されなかった可能性も相当程度あるといえること等の事情を総合考慮すれば形式的には「胸部エックス線検査、胸部CT検査等により、胸膜プラークが認められる」との認定基準を充たすものではないとしても、亡甚一郎に胸膜プラークが存在する可能性を示す有力な間接的な事情が存在するといえる。本件認定基準を充たすのに準じる評価をすることが相当である。」
 石綿救済法の趣旨に沿った判断が判決された。

(4)原処分庁、東京労働者災害補償保険審査官、労働保険審査会の誤り
 平成18年2月9日「石綿による疾病の労災認定基準の改正について」(基発2090001号)通達。
 平成18月3月17日に出された通達は「特別遺族給付金に係る対象疾病の認定について」(基発0317010号)。

 

 この二つの違いは前通達「胸膜プラークなどの医学的所見」であり、後者は救済法の根底となる「確認を要することとなる医学的資料の収集に大幅に制限される。過去の確定診断手法の実情等も考慮する」と留意事項がある。
 原処分庁、東京労働者災害補償保険審査官、労働保険審査会も「石綿による疾病の労災認定基準の改正について」(基発2090001号)の通達で判断したからである。

 

2 衆議院 総務委員会 第21号 (平成26年5月15日)

 

 近藤昭一衆議員の質問より

近藤(昭)委員 ありがとうございます。
 まず、お知らせいただきたいわけでありますが、労働保険審査会の委員の方の報酬は幾らでありましょうか。

 

○安藤政府参考人 お答え申し上げます。
 現在の労働保険審査会の常勤委員の俸給月額は、九十三万一千円となっております。

 

○近藤(昭)委員 ありがとうございます。常勤の方が九十三万一千円ということであります。
 さて、そういう中で、幾つかお伺いをしたいと思いますが、昨年一年間で労働保険審査会に再審査請求された労災不服事件の件数、そしてまた裁決で原処分を取り消すということになった件数、また棄却及び却下された件数、裁決で取り消しになった割合は何%かということを知らせていただきたいと思います。

○安藤政府参考人 お答え申し上げます。
 労働保険審査会における取扱件数につきましては年度ごとで集計させていただいておりますので、年度単位でお答えさせていただきますが、平成二十五年度に労働保険審査会に請求されました労災保険関係の再審査請求の件数は六百八件となっております。
 また、平成二十五年度に裁決をいたしました労災保険関係の再審査請求は五百九件となっておりまして、このうち、原処分の取り消しとなりました件数が十一件、棄却されましたものが四百七十一件、却下が二十七件となっております。
 したがいまして、裁決しましたもののうち、原処分を取り消す裁決をしたものの割合は二・二%となっております。

 

○近藤(昭)委員 数値でありまして、そうした現況をどういうふうに分析、判断するかということはあるんだと思います。
 ただ、今数値を聞いておるところ、私自身も聞かせていただいて、また、質問するに当たって関係者からもちょっと話を聞きましたが、こうした労災の被災者の支援あるいは労働安全衛生に取り組むNGO、また関係の労働組合は、こうした労災の不服の制度が機能していない、幾ら被災者側が立証しても認めてくれない、まるでギリシャ神話のシジフォスの岩のようだと評すところもあるわけであります。
 こんなことを言うとあれですが、先ほど委員の報酬が九十三万一千円という御報告もありましたが、九十五万円という時代があったようであります。九十五万円の時代に、毎月九十五万円もらっている委員が九五%棄却している、こんなふうにも言われたということがあるそうであります。
 大臣、いかがでありましょうか。今、件数がありました。取り上げられた件数、その中で裁決をされた、しかし原処分が取り消された割合というのは本当に低いわけでありますが、いかがでありましょう。

 

○新藤国務大臣
 労災関係の不服申し立ての認容率が低いという御指摘でありますけれども、原処分が適切であればこれは見直す必要がない、したがって認容率が下がる、こういうこともございます、一般論でありますけれども。したがって、認容率の多い少ないということで、それが一概に何か問題が出てくるかということには当たらない、このように思います。
 労災認定に関して言いますと、審査請求と再審査請求を通じると約一四%なんですね。平成二十三年度でありますが、再審査請求による認容率は三・九%、審査請求が一二・三%です。ですから、トータルすると約一四%の認容となります。不服申し立て全体の認容率は平均で一〇・六%ですから、これもあくまで結果の数字でしかありません。
 いずれにしても、大切なことは、適切な、そして正しい判断が行われる、そのことが重要だ、このように思います。

 

○近藤(昭)委員
 私も話の中で触れさせていただきましたように、それは、公正な判断が数字で判断されるものではないというふうには私も思わないわけではありません。ただ、やはりそこは、大臣が今御答弁をいただいたように、公正に、正しく判断をされるということが大事だというふうに思います。そして、そういう中で結果が、数字が出てくるんだと思います。
 ただ、実は、私はちょっと危惧をしていることがあるわけであります。それは、もう半世紀以上前になるわけでありますが、この労働保険審査会ができるときに、当時、医師である社会党の岡本隆一衆議院議員が、一九五六年三月十三日の社会労働委員会で、今の事態を予測してというか、危惧を、懸念を表して質問をしているわけであります。
 ちょっと簡単に読み上げさせていただきます。
 月額九四万円の給料、そして三名分二百八十二万円の報酬が出ている、しかし事務の経費は十カ月でわずか百十三万円だということで、こういう予算はどう考えても委員さんのための審査会であって、審査のための委員会であるとは考えられません。ここでは恐らく、傷病者が手を合わせ念じる、心のこもった申請書も、一片のざら半紙として情け容赦なく紙くずかごに捨てられていくことでありましょう。審査は一片の事務的処理におとしめられ、傷病に悩む労働者の福祉は踏みにじられ、当然受けるべき権利としての労災補償を失って、窮乏にあえぐ犠牲者も出てくるでありましょう。
 この後ちょっとまた言及することもありますが、かなりこの岡本議員の予測が数値としては出てきている、正しかったのではないかと思わざるを得ないようなところもある。
 その後、この事態は改善されたと考えておられますでしょうか。いかがでありましょう。

 

○安藤政府参考人 お答え申し上げます。
 労働保険審査会は、労災保険給付等に係る再審査請求につきまして、慎重な審理を行い、審査の統一ある運用を確保するとともに、迅速な裁決を行うために設けられているものでございまして、委員は独立してその職権を行うということにされております。
 労働保険審査会における裁決に当たりましては、再審査請求の内容に係る原処分庁や審査官への質問、また、公開審理における当事者からの意見聴取や、労働者及び事業主を代表する者、参与と申し上げておりますが、ここの意見の聴取、また、合議体における委員の皆さん、法曹経験者や労働法学者、医師などの委員を擁しておりますが、その間での議論といったことで、慎重かつ公正な審理を図っているところでございます。
 このようにしまして、労働保険審査会におきましては、独立の立場から、高い識見を有する委員により、個々の事案に対して慎重かつ公正な判断がなされているものと承知しております。

 

○近藤(昭)委員 公正な判断がなされているということの御答弁でありますが、幾つか確認をしたいことがあります。
 私は、実は民主党のアスベスト対策議連の会長というのも務めさせていただいております。石綿の労災再審査の事案を取り上げたいと思います。
 厚生労働省は、平成二十三年二月二十二日、「大阪アスベスト訴訟控訴審における和解についての国の考えについて」の中で、石綿労災認定基準を緩和して対象者を拡大したと説明しております。
 具体的には、石綿による肺がんについて、従事期間十年以上から、一定の場合には、例えば肺の中に石綿小体が五千本以上というように多数あれば、作業十年未満でもよいこととした。
 基準を緩和して対象を拡大するというのですから、当然、今まで認めてきたものに加えて、五千本以上の事案をもっと認めるということだろうということであります。
 ところが、その後、二〇〇七年に、厚生労働省は、石綿作業十年以上でも石綿小体が五千本に満たないなら認めないという趣旨の基準を示して、今まで認めてきたような事案を切り捨ててしまった。そのため、石綿関連肺がんの労災裁判が次々に起こされた。
 裁判所は、このような〇七年基準は認められない、裁判所は認められないということで、次々に国の主張を退け、原告の主張を認めた。二〇一三年二月十二日、大阪高裁、港湾労働者の肺がん、二〇一三年六月二十七日、東京高裁、製鉄労働者の肺がん、二〇一四年一月二十二日、東京地裁、航空労働者の肺がん。上記の三事案は、いずれも原告の勝訴が確定しているわけであります。神戸地裁にかかっていた別の港湾労働者の肺がんに至っては、判決を待たずに、二〇一三年十一月十五日、労働基準監督署みずからこの不支給処分を取り消し、支給を決定した。国が負けることが目に見えているからだと言えないこともないと思います。
 この四つの事案が不服で上がっていったとき、労働保険審査会はどのように裁決をしたのか、事実をお答えいただきたいと思います。

 

○安藤政府参考人 お答え申し上げます。
 議員御指摘の再審査請求事案四本につきましては、労働保険審査会において、いずれも棄却しているところでございます。
 なお、監督署がみずから処分を取り消した事案につきましては、裁判の途上で、原処分時には明らかではなかった新たな事実が判明したという事情があったため、監督署みずから処分を取り消したというものでございます。

 

○近藤(昭)委員 ありがとうございます。四件とも棄却をされているということであります。
 さらに加えて、幾つもの裁判で負けたり、裁判を維持できなくなっているのに、同様の建設労働者の肺がんについて、平成二十五年十二月十一日にやはり棄却をしているわけであります。
 この事案は、肺の中から、石綿小体一千本など国際基準であるヘルシンキ・クライテリアの職歴補足ガイドラインを超える石綿小体、石綿繊維が検出をされている。労働保険審査会は、役所の通達に縛られず、丁寧に因果関係を検討すべきであると思います。これでは、役所に、行政の決定に追随しているだけではないか、こういう懸念を持つわけであります。
 さらに質問をしたいと思います。
 石綿の事案はほかにもあります。三つ挙げたいと思います。
 石綿肺の呼吸苦のため、被災労働者が自殺をしたという案件があります。この方は、闘病中にうつ病になったわけでありますが、岡山地裁の判決まで待たなければなりませんでした。
 石綿救済法のうち、労災時効救済の部分があります。労災の遺族なら、妻などには遺族年金、子供などには遺族一時金が出る。労災時効救済では、妻などには特別遺族年金、子供には特別遺族一時金が出る。労災では、妻が請求しないまま亡くなっても子供の権利があるのに、労災時効救済では、労働基準監督署が、妻が請求しないまま亡くなると子供の権利がなくなるとして不支給にしてしまっています。この事件は、裁判になる前に厚生労働省が、監督署が不支給をみずから取り消し、支給するに至った、こういうこともあります。
 建設労働者の肺がんで労災認定されたが、被災者は、労働者の長い期間と、独立自営になって労災特別加入の期間がわずかにあった。特別加入の額は日額五千円にすぎず、この基準をもとにした休業補償では生活ができない。労働者の期間で肺がんになったのだから、労働者の平均賃金にすべきだった。この方も、横浜地裁では認められています。
 上記の三つの事案について、労働保険審査会はいかように裁決をしていたか、お知らせいただきたいと思います。

 

○安藤政府参考人 お答え申し上げます。
 議員御指摘の三件の事案につきましては、労働保険審査会においては、それぞれ棄却されたものと承知しております。

 

○近藤(昭)委員 ありがとうございます。
 いずれも棄却をされていたということなんですが、実は私は、この総務委員会でも取り上げさせていただきました。四月の十五日であります。労災事故から実に二十七年ぶりに事故と中枢神経の損傷との因果関係が認められた事案であります。二十七年ぶりであります。
 このような悲惨な事案について、労災病院である総合せき損センターの泌尿器科部長が、脳や脊髄といった中枢を損傷したために排尿障害、排便障害が起きたとの医学的意見を書いている。被災者側がその事実を指摘したのに、労働保険審査会が棄却してしまって、東京高裁の判決まで被災者は生活保護であった。こういうことが起きているわけであります。
 また、同じ脳損傷の事案で、労働基準監督署の段階で、主治医の意見を尊重せずに、監督署が依頼した鑑定医の意見で因果関係が認められなかった。さらに、審査請求の段階でも、同じ鑑定医に聞いて、やはり棄却をしているわけであります。
 事案の評価はともあれ、鑑定医が同じなら同じ結論になってしまう。これでは、審査請求の意味がない。審査請求の段階でちゃんと鑑定すること、また、監督署の段階とは別の医者に聞くといった丁寧な不服審査、つまり、同じ人に聞けば同じ回答が返ってくるわけでありますから、そうした丁寧な不服審査が必要ではないかと思いますが、いかがでありましょう。

 

○安藤政府参考人 お答え申し上げます。
 冒頭申し上げましたように、審査会では、年間五百件から六百件程度の裁決を行っているところでございますが、いずれの事案につきましても、高い識見と専門性を有する委員の間で、丁寧に議論を重ね、慎重かつ公正な審理を進めていただいているものと考えております。
 また、審査官は、審査請求事件の処理において、新たに医学的意見を求める必要があると判断した場合には、専門医の意見を求めているところでございます。
 この場合、審査官が、監督署が意見を依頼した医師と同じ医師に対して、異なる視点から、また補充的に意見を求めるということもあるとは承知しておりますが、いずれにいたしましても、事案の内容に応じまして、当該医師とは異なる専門医からの意見を求めることも含めまして、審査請求事件の公正かつ適正な処理をするために、丁寧な対応に努めてまいりたいと考えております。
 審査会におきましても、委員の判断によりまして、個々の事案の内容に応じて、専門医の意見を含め、慎重かつ公正な審理に必要な情報収集がなされるべきものであると考えております。

 

○近藤(昭)委員 ありがとうございます。
 ぜひ、違った複数の関係者、医師、専門家から意見を聞いていただいて、丁寧な、そして公正な運営をしていただきたいと思います。

 

5 藤井正實医師による意見書の審査の採用
 職業病による労災申請には申請人の意見書を求めるのがこれまでの労働基準監督署の調査方法である。審査請求、再審査請求で申請人の医師の意見書を参考にしないということであればこれからの労災申請調査方法の検討が求められる。
 申請人の医師の意見書を否定するならならば記述をもって否定しなければ申請人に対して不利なあつかいになると言える。国会答弁を遵守することを求めるものである。

 

6 主張の結論
 審査資料集P6からP8の似鳥 七郎 殿の肺がん罹患に関する意見書(医療法人財団 健和会 柳原病院 医師 藤井正實)、p10の胸部エックス線再読影依頼状の結果報告(職業性疾患疫学リサーチセンター 理事長海老原勇[医師])、2012年11月北足立生協診療所撮影ニタドリシチロウ レントゲンフィルム、平成24年7月6日ハラダクリニック撮影ニタドリシチロウ レントゲンフィルムを提出します。
 国会答弁にあるように第三者の専門医など、違った複数の関係者、医師、専門家から意見を聞いていただいて、丁寧な、そして公正な運営をしていただきたいと思います。

以 上

NPO法人建設政策研究所
「建設政策」第146号 2012年11月発行 掲載文

石綿救済法(池内裁判)で勝利判決
==全ての石綿被害者を救済せよ==
はじめに

平成24年6月28日、午後3時東京地方裁判所の法廷で「足立労働基準局の特別遺族年金を支給しない旨の処分を取り消す」と原告池内康子さんに勝利判決が言い渡された瞬間、傍聴席を埋めた東京土建本・支部、足立アスベスト被害者の会の人達から拍手が沸き起こった。
平成18年6月、原告池内康子さんは夫の肺がんは石綿によるものと足立労働基準監督署に石綿肺がん労災申請。同年12月に不支給。労働保険再審査請求、労働保険審査会(最審査請求)も棄却。東京地方裁判所に平成21年10月に提訴。池内裁判(通称)勝利判決は労災申請から6年の歳月が流れていた。

石綿による健康被害の救済に関する法律

 平成17年6月29日いわゆる「クボタショック」が起こった。足立支部では7月15日に区内のアスベスト含有建材会社にたいして工場周辺の環境保全と労働者保護、足立区には公共施設の調査、対策窓口の開設をもとめる要請行動をおこなった。全国各地でこのような要請、抗議行動が燎原烽火の如く広がりアスベスト問題が社会現象となり、結果として石綿健康被害救済法(以下、救済法)施行へとつながった。平成18年3月27日、時の小池百合子環境大臣は「アスベスト被害者を隙間無く救済」すると救済法を施行した。
厚生労働省は施行するにあたって平成24年3月16日付けで都道府県労働局長に次の通達を出している。

法の趣旨等(抜粋)
救済法の救済措置は、労災保険法等による救済の対象とならない者に対する救済給付の支給と死亡した労働者の遺族で労災保険法の遺族補償給付を受ける権利が時効により消滅した者に対する特別遺族給付金の創設の2つからなっている。後者については、石綿による疾患は長期の潜伏期間があり、石綿と疾患の関連性に本人も気付きにくく、専門的な知識を持った医師が少ないという事情から、本人又はその遺族が労災保険法による保険給付を請求したときには概に消滅時効にかかっているといった場合があることから、特に救済することとし、新たに特別遺族給付金を支給することとしたものである。

(基発 第0317003号)

 原告の池内康子さんの夫甚一郎さんは平成11年10月に肺がんで死亡したが救済法で時効の5年を撤廃したので救済法による労災申請が可能となった。

池内裁判の組合としての意義
===立法趣旨の解明と被害者救済の拡大===

 労働組合の任務に、一つは組合員の要求実現、生活擁護がある。もう一つは組合としての組織的要求の権利拡大がある。組合のなかにも「遺族年金不支給取消処分」という一組合員擁護のための裁判闘争に批判的意見もあった。
 池内裁判の意義は次のようなものであると考える。すなわち、一つは救済法による労災給付金獲得による池内さんの生活擁護、もう一つは建設労働組合としての裁判闘争により、圧倒的世論形成でつくられた救済法の立法趣旨の解明と遵法確認し、その結果、被害者救済を拡大することである。
 原告池内康子さんはNHKの取材にも「救済法ができても救済されない仕組はおかしい。私が認定されることで多くの被害者が救済されるようになれば良いと思います」と一貫として法の遵守を主張してたたかったのである。

池内裁判までの経過

 ここで、これまでの石綿に関し、労災申請が困難であった事実を確認しておこう。平成18年6月、足立労働基準監督署に石綿肺がん労災申請をおこなったところ、特別加入者ということで労働者性は確保され、建築現場の粉じん作業で働いていたという業務遂行性は認められた。業務起因性の医学的証拠は故池内甚一郎さんの保存カルテのなかから海老原医師に「honeycomb様shadow」(蜂巣状陰影)の記載を見つけてもらい意見書を労災申請時に提出した。
 しかし、海老原医師の意見書に局医が否定的意見により医学的根拠は不明ということで、業務起因性を認められないとうことで不支給となった。労働保険再審査請求、労働保険審査会(最審査請求)も同じ理由で棄却をした。
 そのころ、組合では厚生労働省の専門医による「石綿による健康被害に係る医学的判断に関する検討委員会」の発言記録を調査し、「石綿被害を診断できる医師は全国で50人もいない」「特に肺がんの原因を見極める医師は数人」と報告していることなどを資料とし救済法の立法趣旨を根拠とした。しかし救済法の立法趣旨、運用について争点を回避され、裁判になっても被告国側に救済法論争を回避され続けられた。

資料が一切ない申請人が審査請求で認定
池内さんと同時期に足立労働基準監督署に救済法による申請をおこなった方がいた。NHK首都圏ネットワークで救済法施行一年特集に池内さんと一緒に取材放映されたAさんである。
 Aさんは足立区内のブレーキライニングの研磨仕上げ工として働いていた母(故人)は石綿による肺がんであったと平成18年7月13日に同年10月13日、たった3ヶ月の調査で資料が全くないという理由で不支給になり審査請求をおこなった。平成19年8月22日。東京労働保険再審請求で認定となった。認定理由は肺がん死亡していた同僚の健康診断表に「肥厚?」(ママ)の記載があるということは胸膜プラークの存在を推認できるという医学的所見の因果関係を認めたものであった。この決定は池内さん、組合を大きく励ますものとなった。

東京地方裁判所でのたたかい

 先のAさんの例も後押しとなった池内さんの東京地裁での闘いいについて見ていこう。
 池内さんは事業主特別加入者であるため、原処分庁である足立労働基準監督署は
 労働者性、粉じん作業現場で働いていたことによる業務遂行性は認めていた。そのため裁判は故池内甚一郎さんの肺がんの業務起因性が争点となった。
 裁判は北千住法律事務所に依頼し鎌田弁護士が統括と救済法の立法趣旨、水田弁護士が粉じんばく露の立証、橋澤弁護士が医学的立証を担ってくれた。

(1) 立法趣旨についての主張
準備書面でも第1 はじめにで石綿救済法の立法趣旨を踏まえた審理を求めている。立法趣旨については国の法の趣旨を基に平成18年3月17日の認定に当たっての留意事項が大きな根拠となった。
 国の立法趣旨で示されている「専門的な知識を持った医師が少ないという事情」。認定の留意では「医学的資料の収集が大幅に制限される。過去の確定診断手法の実状等も考慮し」とする厚生労働省通達が論争の根拠となった。

第3 認定に当たっての留意事項  (抜粋)
疾病の特定の特定について
確認を要することとなる医学的資料の収集が大幅に制限されざると得ないことから、過去の確定診断手法の実状等も考慮し、疾病の特定については、特別遺族給付金の支給請求書に添付された死亡診断書等の記載事項証明等の記載内容により判断すれば足りるものとすること。

(基発 第0317010号)

(2) 医学的な根拠について
芝病院藤井正實医師の指導助言をえながらしばぞの診療所海老原勇医師の意見書を立証する医学的論理展開をすすめた。
蜂巣状陰影(honeycomb様shadow)はじん肺法に定める第1型以上の石綿肺である。胸膜プラークは画像検査の困難性、当時の臨床現場の認識不足であったことを「検討委員会での発言記録」や東京土建の実態的資料などから主張を展開した。

(3)ばく露実態と肺がんの相当因果関係について
本来、原処分庁である足立労働基準監督署はばく露の業務遂行性を認めて裁判に移行したはずなのに、国側は小規模工事(町場)での粉じん量、事業主は時間的にも限局的であると主張しはじめた。この、粉じん量、事業主の作業時間の問題は今後の労災認定にもかかわる大きな争点であった。
 組合としては小規模工事の再現ビデオで裁判官に視覚で訴えることにした。住宅デーで請けた新築現場があったことも幸いした。丸ノコで石綿含有建材(ノン石綿含有建材を使って)の切断、加工作業では顔が真っ白となり、取付ではもろに顔に降りかかる実態を撮影することができた。また、図面や仕様建材の一覧などを元事務所の隅から発見し詳細に調査し使用石綿建材を表にまとめる作業を水田弁護士がおこなったことは大きな成果だった。
 科学的証拠として東京労働安全衛生センターの外山尚紀氏から日本で始めてとなる小家屋でのばく露量の検出調査をした。ヘルシンキ基準を大きく上回ることを実証した。

(4)証人尋問でも国側を圧倒
組合側は原告、当時の同僚者、医学的証人として藤井正實医師をたてた。国側はC労災病院院長で国の検討委員でアスベスト専門医師が法廷にたった。

 証人尋問では原告は、夫の性格や仕事上の環境、同僚者は仕事での当時のばく露実態、藤井医師は当時の臨床医学と石綿との相互状況とじん肺の認定基準などの証言をおこなった。国側の医師が証言のなかで当時レントゲンフィルムを読影しカルテに記載したI医師を「石綿医学の権威」という証言をおこなったが、藤井医師が過去の誤診履歴をもとに権威を否定した。
 裁判官が判決で「胸膜プラークの意義や石綿関連疾患について強い関心や知識を有していたとは困難である」と判断したことは、藤井正實医師が臨床現場で培った豊富な石綿医学の知識がI医師を凌駕したことは組合にとっても意義あるものだった。
 組合側の三人の弁護団も証人尋問で法廷を圧倒した。救済法の立法趣旨と他での判例や豊富な医学的尋問、粉じんばく露問題での尋問など裁判官の理解を得るのに充分な法廷となった。橋澤弁護士の緻密な医学的尋問は国側の医師の臨床例の少なさを露呈させるほど迫力のあるものだった。傍聴席からは「映画を観ているようだった」との感想もだされた。
 国側は「同僚にプラークが有ったから故池内さんに有るとは限らない」という労災申請時から一貫して主張した。最後に裁判官三人からの国側証人の尋問で「同じ現場働いた一方に胸膜プラークがあった場合は、やはり他方にもプラークが有ると診るのが妥当」との証言を得た時は法廷に「勝利」の空気が流れた。

組合が勝ち取った勝利判決

 そしてついに救済法に沿った判決が次のように下された。
 「平成11年当時の亡甚一郎の胸部エックス線写真及び胸部CT画像上から胸膜プラークの存在がうかがえなかったとしても、そのことから、直ちに同人に胸膜プラークが存在したとしても、そのことから、直ちに同人に胸膜プラークが存在しなかったといえず、単に画像状検出されなかった可能性も相当程度あるといえること等の事情を総合考慮すれば、形式的には[胸部エックス線検査、胸部CT検査等により、胸膜プラークが認められる]との認定基準を充たすものではないとしても、亡甚一郎に胸膜プラークが存在する可能性を示す有力な間接的な事情が存在するといえるのであり、本件認定基準を充たすのに準じる評価をすることが相当である」

原処分庁(足立労働基準監督署)はなぜ判断を誤ったのか

 足立労働基準監督署は平成18年2月9日「石綿による疾病の労災認定基準の改正について」(基発2090001号)に基づいている(調査結果の復命書から)。本来なら3月17日に出された通達「特別遺族給付金に係る対象疾病の認定について」(基発0317010号)で調査しなければならない案件であった。
 この二つの違いは前通達「胸膜プラークなどの医学的所見」であり、後者は救済法の根底となる「確認を要することとなる医学的資料の収集に大幅に制限される。過去の確定診断手法の実情等も考慮する」と留意事項があるのにまったく検討しなかったことです。組合ではこの原初的な間違いを指摘したが「医学的証拠」に固執したので裁判まで至ったものです。

救済法でさらなる建設労働者の救済を

 平成17年から平成23年度までの労災保険法の申請9,589件で認定は7,859で認定率は81,9%。救済法では申請2,110件で認定は1,296件で61,1%となっているが、平成18年だけで申請が1,454件で認定が886件となり法施行年で全申請数の70%を占めている。
 平成23年だけでも労災保険請求は1,141件で認定は1,037件90,7%に及んでいる。しかし、救済法は申請で137件、認定で39件と認定率が28%と低くなっている。業種的には労災保険法では建設業が51.4%を占めるが、救済法では製造業が69.1%と圧倒的に高く、建設業では23.1%と圧倒的に低くなっており
 製造業は労働安全衛生法による健康診断などの保存が事業所で管理しているからと推測できる。建設労働者は「転々労働者」であり、資料確保が難しいことから申請者が少なく認定率も低いといえる。
 今回の裁判で、医学的立証が不十分でも、認定基準を充たすものではないとしても、認定基準を充たすのに準じる評価をすることが相当であるという推認の判決が出された意味は大きい。また、救済法だけでなく労災保険法での適用に可能性を広げたといえる。

組合員が組合への回帰と帰属意識の拡大

 「組合が国に裁判で勝った」ということは支部役員のみならず組合員まで広がった。この数年間、国保組合攻撃からはじまり、今日の社会保険未加入問題などで組合を去っていく組合員もいた。特に日雇健保危機打開、日雇健保擬制適用廃止、東京土建国保設立など国との制度闘争をしてきた古い組合員には物足りなさを感じていた。
「たたかって学び、学んでたたかう」東京土建の運動を体現したこの池内裁判闘争は、組合の持つ根源に組合員を回帰させ、組合員が「俺たちの組合」という東京土建の発展の歴史である帰属意識を高めたことは大きな成果となった。

東京土建足立支部 書記次長松舘 寛

仲間の大きな勝利だ
池内アスベスト裁判に勝利判決
すべてのアスベスト被害者を救済しろ
アスベスト裁判へ布石

 6月28日、午後3時東京地裁において、私たちにとって画期的な判決が下りました。
 私たちの仲間の故池内甚一郎さんに対するアスベスト救済法による労災遺族給付を認める判決です。アスベスト被害が増大する中。この判決は大きな一歩です

勝利判決を受け、参加者全員でバンザイ
勝利判決を受け、参加者全員でバンザイ

 2006年6月、足立労基署に労災申請をしてから6年目の6月28日(金)東京地裁において石綿救済法による労災遺族給付の認定を認める画期的な判決が下りました。
アスベストの被害者を隙間なく救済するとした「石綿救済法」だが、実際の適用とするためには、医学的な証拠をこちらが用意しなければならない。「石綿救済法」では5年以上さかのぼっても救済することになっているが、医療機関におけるカルテ等の保存期間は5年。多くの医療機関が5年を過ぎると破棄しているという現状の中で、今回、一緒に働いていた仲間の状態でアスベスト被害を推認し、適用を認めるという画期的な判決を勝ち取ったことは、今後のアスベスト救済に大きな布石となるでしょう

勝利報告集会開催

 6月28日午後8時より支部事務所において勝利報告集会が約50人で催された。
最初に松館書記より経過報告。北千住法律事務所の鎌田弁護士、橋澤弁護士からの報告と藤井芝病院院長から笑いをまじえての報告がありました。
橋本副委員長の乾杯。中村書記長、平井本部労対部長、針谷区議、渡辺アスベスト被害者の会会長代行からお祝いを受け、最後に池内康子さんと家族からお礼の言葉を受け、散会となりました。

医師・弁護士と家族に囲まれて勝利の報告
医師・弁護士と家族に囲まれて勝利の報告

仲間に感謝 池内 康子さん

 今日このような判決を受け、大変うれしく思います。
これも主人の膨大な資料から先生方が苦労していろんな資料を駆使してくださったおかげです。
私だけでは何も出来ませんでしたが、いろんな不安な中、ずっと寄り添ってくれた岩崎職員には大変感謝しています。


声明

1 本日、東京地方裁判所(古久保正人裁判長)は、約43年間建築現場で働いた亡池内甚一郎が肺がんで死亡したのはアスベスト(石綿)の曝露が原因として、妻の池内康子が遺族補償を不支給とした足立労働基準監督署の処分取消しを求めた訴訟で、原告の請求を認め、処分取消しの判決を言い渡しました。

2 亡甚一郎は、昭和30年から大工として働き、平成11年2月に肺がんと診断され、同年10月に死亡しました。妻の池内康子は、平成18年6月、足立労働基準監督署に対し、特別遺族年金の支給を請求しましたが、石綿肺・胸膜プラークの医学的知見がないと いうことで斥けられ、審査請求も再審査請求も斥けられ、平成21年10月提訴したものです。

3 判決は、亡甚一郎と同じ建設作業現場で大工として長期間に亘って働いていた同僚2名に明確な胸膜プラークの所見がみられることから、亡甚一郎にも胸膜プラークが存在する可能性を認め、肺がんの認定基準に準じる評価を行ない業務起因性を認めました。
更に、同僚2名の胸膜プラークの所見とばく露歴から、同僚2名は、肺がん発症の相対的危険度を2倍以上となるばく露を受けたと推認され、亡甚一郎の受けた累積ばく露量はそれを上廻ると推認され、業務起因性が認められるとしました。

4 本件は、平成18年3月に制定された石綿による健康被害の救済に関する法律(石綿救済法)に基づいて請求したものです。
石綿救済法は、すき間のない救済を立法趣旨とし、遺族からの請求が時効になっているものも救済の対象としました。本件も、石綿救済法により請求が可能になりましたが、年月の経過により、レントゲン画像・CT画像ともに廃棄され残っていませんでした。
そのため、医学的知見の立証が困難でしたが、判決は、本人の画像のないなかで、同僚2名の胸膜プラークの所見の存在を重視し、医学的知見と石綿ばく露量の両面から業務起因性を認定したもので、画期的な司法判断です。

5 石綿救済法による労災請求では、医学的資料が残っていなかったり乏しかったりする事案が多く、これに対し、国は、認定行政において、医学的知見の存在を厳しく求めてくるため、認定件数は非常に少ない実情となっています。
すき間のない救済という立法趣旨にたちかえり、被害者救済の視点に立って、認定行政を行なうことが強く求められます。

6 アスベスト疾患で仕事を絶たれ又は大黒柱を失い困窮する家族が今なお多く残されています。足立支部はこの勝利を確信に、被害者すべての救済と医師や患者と共に治療、生活援護、医療機関の整備に全力ですすめていきます。

2012年6月28日
東京土建一般労働組合足立支部
東京土建足立支部アスベスト被害者の会
アスベスト池内裁判弁護団

アスベスト労災認定者にみる被害の実相と建設労働者の軌跡、今後の被害救済活動にむけて

全建総連 東京土建一般労働組合足立支部
書記 松舘 寛

はじめに

 労災認定の医学的判断は専門医にお願いすることとして、書記がやらなければならないことは職歴(労働者性)づくりと証明のための証拠書類などの収集。(建設労働のひろば2005年10月号)。多くのアスベスト労災申請をおこなうことで労働基準監督署にも慣れてもらう運動がもとめられている。そのために組合員の健康相談、専門医受診体制づくりが必要となる。(建設労働のひろば 2008年10月号) 
 この文章は首都圏の全建総連傘下の組合が全建総連組合員向けに発行している「建設労働のひろば」に寄稿したものである。私は全建総連の一支部の書記として、組合員のアスベスト被害者救済実践者として被害者の労働者性の探求、将来にわたるアスベスト救済対策の二つ視点から述べる。
 私は2003年4月に足立支部に異動になり労災担当職員とアスベスト被害者救済にかかわり2010年6月末までに組合員や区民45人の労災認定を勝ち取ることができた。被害者45人のうち3人は製造関係の区民で42人は建設労働者である。労災認定後に連絡をとれなくなった3人を除き39人の労災認定者についてあらためて労働の軌跡などの調査をおこなった。
 建設労働者の労働の軌跡を追うことで全建総連の研究課題となっている「労働者性」の課題、今後増え続けるアスベスト被害者救済体制を考察してみた。現場実践者からの提言としたい。

1 足立支部アスベスト労災認定者45人にみる疾病

 過酷な職業や建設現場で働く労働者の街が足立区である。東北線、常磐線、信越線の終着駅、上野駅から近いこともあり東北、北関東、新潟県から戦前戦後は次男、三男が「つて」を頼って住み、高度成長期には「金の卵」といわれた中学卒業生の集団就職者が移ってきた。また、冬季の出稼ぎ労働者などの飯場も多くなり住宅密集地も生まれた区である。

1) 足立区は被害が多い地域性

 足立支部では海老原勇医師、藤井正實医師の二人の専門医に健康診断時のレントゲンフィルムの再読影(健診内科医師外に読影)をしてもらい早期発見につとめている。また、二人の医師からは異常のある組合員が労働局衛生課に提出するじん肺管理区分申請、労働基準監督署への労災申請に際して意見書の記載ほか多大な指導を受けている。お二人に共通するのは「足立支部組合員の肺は異常に汚れている」と指摘されていることである。
 東京の下町、足立区。2006年1月3日付け一面トップに「足立区就学援助世帯42.5%」と報道された区である。昭和30年代に都営住宅が大量に建設されたこともあるが、北野武の父、気風の良い塗装職人(ビートたけし著「菊次郎とさき」)にみられるように建設労働者が多く住んでいる街である。
 また、墨田区、台東区などと並んで住宅密集地が多く都市計画法上の防火地域となっている。都市計画法の防火地域は50平方メートル以上は準耐火、三階以上の建物は耐火建築物、つまり一般的建物は鉄骨、鉄筋コンクリート造りにしなければならない。鉄骨は当然アスベストの吹きつけが義務化されていた。足立区に住む建設従事者は大手建設現場労働者、町場といわれる建設労働者も殆んどが耐火建築物の建築にたずさわったのである。足立区の建設労働者はアスベストに曝露する必然性が高かったといえる。
 建設以外でもアスベスト含有建材メーカーやアスベスト不燃糸工場やブレーキ製造会社、産業廃棄物処理会社も多く、その子会社、下請けで働く労働者の町でもある。区民の労災認定に協力したケースとして麻袋再生業(アスベスト輸入袋の再生)、産業廃棄物処理業者、石綿発掘製造、アスベストスレート製造元従業員もいる。

2) 石綿労災認定疾病と足立支部の認定者

石綿による疾病
1
石綿肺 
23
2
 肺がん
16
3
 中皮腫
5
4
 良性石綿胸水
0.5
5
 びまん性
胸膜肥厚
0.5
45
 アスベスト労災認定疾病は(1)石綿肺 (2)原発性肺がん(転移性の肺がんではないという意味) (3)中皮腫 (4)良性石綿胸水 (5)びまん性胸膜肥厚の5つの疾病となっている。
 足立支部の労災認定者の疾病は右記のようになっている。良性石綿胸水、びまん性胸膜肥厚が0.5となっているのは先にびまん性胸膜肥厚がみとめられてあとで良性石綿胸水が認められ遡って休業補償が認定されたからである。
 平成14年以降からの統計なので一年間に5.6人、二ヶ月に1人が労災認定されている状況にある。足立の地域性から考えると氷山の一角と認識すべきである。後で述べるが足立の地域性よりは低くなると思われるが全国の建設労働者でアスベストに罹患したことを知らないで墓に眠っている人は数知れないだろう。

2 アスベスト被害者の壮絶な闘病

 平成22年6月30日現在、足立支部にはアスベスト労災認定者は45人いるが一人ひとりの聴き取りは涙をさそうものがある。非建設従事者、遺族の理解や連絡の取れない人たち6人をのぞき39人の健康実態や病的な変化の調査を試みた。< 右記の病名 A石綿肺・B肺がん・C中皮腫・D良性胸膜胸水・Eびまん性胸膜肥厚>

1)  平均寿命より10年短いアスベスト被害者の命

NO
 
職 種
生年月日
認定日
死亡
1
中卒
大工
s9年11月
A
H14年9月
H16年11月
2
中卒
大工
s5年2月
A
H15年7月
H15年7月
3
中卒
内装大工
s11年1月
B
H16年3月
 
4
高卒
塗装
s24年4月
B
H17年11月
H16年4月
5
高卒
内装大工
s21年2月
B
H17年8月
H18年2月
6
中卒
スレート
s9年8月
B
H17年6月
H19年6月
7
中卒
配管
s11年10月
A
H18年1月
 
8
中卒
大工
s4年8月
A
H18年3月
H18年9月
9
中卒
電工
s18年11月
A
H18年6月
 
10
中卒
内装
s13年12月
C
H18年8月
H19年4月
11
高卒
電工
s14年2月
B
H18年7月
H19年3月
12
高卒
大工
s17年1月
B
H18年12月
 
13
中卒
塗装
s4年2月
A
H19年2月
 
14
中卒
大工
s6年3月
A
H18年12月
 
15
中卒
土木
s9年10月
B
H19年3月
H13年11月
16
中卒
左官
s5年2月
A
H19年8月
H16年2月
17
中卒
左官
s8年5月
A
H19年12月
H18年1月
18
中卒
内装
s13年4月
A
H20年3月
 
19
中卒
大工
s11年4月
B
H20年2月
H14年5月
20
高卒
内装
s26年4月
C
H19年11月
H19年12月
21
中卒
冷媒
s16年1月
A
H19年11月
 
22
中卒
左官
s12年12月
A
H20年10月
H19年10月
23
中卒
大工
s9年10月
B
H20年10月
H20年7月
24
中卒
ブロック
s30年12月
A
H20年11月
H20年11月
25
中卒
設備
s24年8月
C
H20年6月
H18年6月
26
中卒
電工
s8年12月
A
H21年3月
H20年4月
27
高校
解体
s25年3月
A
H22年3月
 
28
中卒
大工
s9年3月
A
H22年3月
 
29
中卒
型枠
s18年11月
B
H21年8月
H22年4月
30
中卒
内装
s24年5月
B
H21年9月
 
31
中卒
防水
s19年12月
B
H22年1月
H20年9月
32
中卒
電工
s22年10月
A
H22年11月
 
33
中卒
土木
s16年5月
B
H21年11月
H20年11月
34
中卒
板金
s10年1月
A
H22年4月
 
35
高退
はつり
s19年3月
B
H21年11月
H22年1月
36
中卒
配管
s31年1月
A
H22年6月
 
37
中卒
大工
s13年1月
A
H22年3月
 
38
中卒
築炉
s16年2月
A
H22年6月
39
中卒
大工
s8年11月
D/E
H20年7月
 

 39人のなかで遺族となっている方は21人と過半数を超えている。この内訳は死亡後の申請が8人、申請後に亡くなられた方は13人となっている。死亡後の申請とは申請準備中に死亡、東京土建国保の死亡原因通知調査からの申請、支部組合員からの情報に基づく申請などとなっている。アスベストによる肺がん・中皮腫の患者、19人のうち17人が一年以内に亡くなっている。不治の病というよりも「死ととなりあわせ」の病気といえる。建設労働者は「静かな時限爆弾」をかかえているという全建総連啓蒙運動のスローガンはまさにそのような実態をうきぼりにしている。
 亡くなった方の平均年齢は68歳で中皮腫の被害者は60歳という若さでアスベストによって命を削られている。
 厚生労働省2010年発表によれば男子の死亡平均年齢は78歳5ヶ月なのでアスベスト被害者は丁度10年早死にしていることが解る。

2)俺は板を削っていたと思っていたら命を削っていた

 NO3の内装大工の方は野丁場でビルの間仕切りなどの仕事をしていた。NHK首都圏ネットワークニュースで「俺は板を削っていたと思ったら命を削っていた」と無念の言葉を残して逝った。
 NO4の塗装工の方は肺がんの宣告を受けた後、自暴自棄になり「労災なんて俺には関係ない」といって中学生、高校生の子どもを残して旅たった。
 NO25の設備工の方は真面目なスポーツマンだった。中皮腫が判る9ヶ月前までバレーボールサークルに入り人生を楽しんでいたとう。56歳の若さだった。
 NO35のはつり工の方は年末に肺がんを指摘され、ガン治療の病院を紹介されたが、「年末は稼ぎ時で今働かないと年を越せない」といってなかなか病院に行かなかった。分会役員が説得と治療費の援助をして初めてがん治療を受けた。しかし、ガン細胞の転移もはじまり労災認定2ヶ月で無くなった。日々の収入に頼る建設労働者の実態が死を早めたともいえる。
 建設組合の専従書記としては、アスベスト対策をしてこなかった国と、危険と知りながら製造してきたメーカーの責任をとうてい許すことはできない。

3 建設労働者の労働者性の確保

 労働災害補償は当然労働者でなければならない。建設労働者は労働環境というよりも働く階層が複雑になっている。一昔前の立志意欲、見習い→職人→親方→棟梁という図式から近代建設産業の重層下請構造のなかで、働く階級が不明確になり「労働者性」の立証が困難になってきた。しかし、労働災害補償は「労働者」であることが前提となり「労働者性」の証明が大きな課題となる。労働者性を実証したあとには最終曝露現場の特定という問題もクリアしなければならない。
 重層構造システムは、事業所が経費削減を意図して民法上の事業主(1人親方)にさせて形式的な請負関係(注文書および領収書の発行)を行わせている。労働者災害補償を請求するには労働者性をしっかり確保したうえで労災申請に臨まなければならない。申請後に監督署で申請人の聴き取り調査は4時間に及ぶこともあり申請人はしっかりと「労働者」であることを認識していることが肝要である。

1) 就業階層の変化が顕著な建設産業

 東京土建国保組合の保険料区分は(1)見習い (2)職人 (3)1人親方 (4)個人事業主 (5)法人事業主の階層に分けている。これはとてもシンプルな階層といえる。現在の就業実態では職人と1人親方あるいはグループ労働、グループ請負など現場ごとで契約(賃金支払い)関係が交差している。聴き取り調査していても本人が労働者、請負、常用、グループ雇用、グループ請負、1人親方、事業主、特別加入の有無など定かでないことが多々ある。一昔前の「渡り職人」とは違い日常的に就業階層が変化するのである。このような労働者を厚生労働省は平成17年7月27日通達で「転々労働者」と規定している。労働者性確保のために転々をつなぎ合わせて調査し証明をつくるために職歴を聞くこととなる。

<厚生労働省通達より>

2) 「転々労働者等」の事実認定の対象

 厚生労働省はこの通達で転々労働者などの扱いをつぎのようにしている。
(2) 転々労働者等の事実認定の対象
転々労働者等の事実認定は、原則として次のア又はイの事実であって、事業主・同僚労働者等から当該労働者の石綿ばく露状況の確認が困難なものについて行うこと。
 ア 被災者が石綿ばく露作業に係る事業場を転々としている場合
 イ 退職後相当期間経過している事案であって、被災者の所属していた事業場が廃止された場合

(2) 請求書の提出を受けた監督署における事務処理
 石綿による疾病に係る請求書については、その提出を受けた労働基準監督署が所轄監督署であるか否かを問うことなく、一旦、当該監督署が受付を行うこととする。

 建設労働者を転々労働者等という呼称の論議はさておき建設労働者の実態、事実関係の立証、救済にこの通達は非常に大きな役割をはたしている。労働者性については「同僚証明」などでも有効であること。労災請求の提出は事故のあった所轄署ということで石綿被害者は最終曝露現場が不特定の時が多く、労働基準監督署を「たらい回し」をよくさせられた。この点から建設労働者の転々性規定は労働者性、最終曝露事業場の不特定でも良くなり被害者救済を迅速化させた。

3) 労災認定の労働者証明期間について

 アスベスト労災申請における労働者性期間は中皮腫で1年、肺がんで10年以上、良性石綿胸水は本省協議、びまん性胸膜肥厚は3年となっているので基本的に問題はない。石綿肺は事業主期間より労働者期間が長いこととなっているので従事証明困難になってくる。
 次の質疑応答集が全国の労働局の指針になっている。*平成18年10月3日厚生労働省臨時全国労災補償課長会議「石綿による疾病事案の事務処理に関する質疑応答集」

2-4 労働者としての従事歴と事業主としての従事歴が混在している場合、どのように認定すればよいか。
(答)
 労働者としての従事歴と事業主としての従事歴がある場合の認定については、労働者として石綿ばく露作業に従事した期間に着目し、それが認定要件に合致しているかどうかで判断することとしている。
 じん肺については、どちらの粉じん作業が有力な原因となったかという観点から、従事期間の長さなどにより判断することとしているが、中皮腫や肺がんは、一定以上の石綿ばく露があれば、潜伏期間を経て発症に至るというものであるので、じん肺と同じ取扱いとはしていない。
 したがって、事業主としての従事期間が長い場合であっても、労働者としての従事期間(通算)が認定要件を満たす場合には、原則として、業務上(肺がんは医学的所見が必要)として差し支えない。

 以上が労働者、事業主の労災保険補償での就労関係の規定である。労働者と事業主の混在が多い建設労働者のアスベスト労災申請に注意すべきものである。

4 労災申請の実践と個人請負労働者(1人親方)について

1) 個人請負労働実態の問題点

 個人請負労働者の実態研究は佐藤裁判、東栄住宅労災保険料負担問題は全建総連でも大きなテーマとなっている。私たちアスベスト被害者救済の労働者性確保からも関心をもたざるをえない課題となっている。
個人請負労働者に関する共同研究会の研究報告書に記述のなかで「研究会趣旨と目的」によれば「最近の判例との関係で建設業の1人親方の問題を検討する場合、建設産業とその従事者に関わるさまざまな法律との関連性を見極めていくことが重要である。特に建設業法をはじめとした各法律間の整合性や矛盾点を把握した上で、総合的、多面的な法律的解明が急がれている。その上で今後の対応と運動課題等を考える道筋をつけていく必要がある」とされている。支部で日々組合員の「1人親方労災」のあり方、特に野丁場で働く組合員の相談を受けている者として研究を深めてもらいたい。

 この論文の趣旨と離れるが、東栄住宅のあらたな発注者規定がはじまって間もなく足立支部の組合員が「売れていない物件」、いわゆる東栄住宅が発注者となる現場の建前工事中に大ケガに見舞われた。当然、「1人親方の集合体」の建前現場である。建前時の指揮命令性、指揮監督性が問われた。建前は1人親方だけではできないので一日労働者を誰かが雇用しているかの問題も発生した。建前のあとの「1人親方集合体」方式のありようは理論的には可能だが建前時に「1人親方集合体」では建てられない。そこには指揮、命令、統括するいわゆる現場監督がいなければならない。現場監督と1人親方との使用従属性に発展する問題となった。私たちの話し合いのなかで東栄住宅もこの「建前時の労災関係」に社内検討がはじまった。私も知りえる範囲の助言をした。
 私はこのような建設就労実態から1人親方というこれまでの呼称に非常に疑問をもっていた。労災申請にあたり被害者の聞き取りから1人親方といっても労務供給形態、民法上の独立といいながら固定した生産手段が皆無で個人請負といえない人が多かった。

2) 「総合的判断」に耐えうる準備

 労災申請のためという狭義の労働者性かもしれないが、支部では労働基準法上の労働者性の判断基準となる使用従属性、報酬の労務対償性で労働者性の聴き取りを行っている。補強となる要素の機械、器具の負担関係、報酬の額、専属制の程度などを準備し最後は労災補償認定の「総合的判断」に耐えうる準備、資料をととのえる。
 この総合的判断を補強するものとして大手現場での入所カード、資格、褒章などの賞状、最近有効となっているのが建前時、事業所の宴会旅行、実際に建てた建築物などの写真である。最近は労働基準監督署の方から「写真があれば良いですね」といわれるようになった。この写真の証拠提出は大きな成果と自負している。

3) 39人の労災認定への道と労働の変遷

労働者
30
1人親方特別加入
3
事業主特別加入
6

 39人の労災認定者の内訳は労働者が30人、1人親方特別加入者が3人、事業主特別加入者が6人となっている。丁場別では町場が16人、新丁場8人、野丁場15人となっている。
 次項は39人の就労期間を階層別にグラフにしたものである。 尚、グラフの最終労働形態と労災認定要件が違うものは被災疾病の認定基準によって異なることを付記しておく。

(1) 労働者として働き続けて

 労働者での認定は30人である。建設業を志し労働者を通した者は18人。特に「転々労働者」に多いのが特徴である。地方出身者が戦後「つて」を頼って町場で親方のもとで働いたケースが多い。他産業から移動した者は4人。

町場
16
新丁場
8
野丁場
15

(2) 労働者から1人親方そして事業主へ

 1人親方での労災が少ないのは労働者性への厳密な調査によるものであるが、大手ゼネコンの事務組合で1人親方労災加入者もいた。事業主での労災認定者の労働階層の推移をみてみると概ね建設業に従事して早い期間に労働者から事業主に独立している。それも特別加入への加入も早い。建設事業主として経営感覚と安全対策の自覚がさせているのだろう。

(3) 他業から建設業に移動

 他産業から移動して建設労働者になり1人親方になった方が4人、事業主となった者は3人となっている。他産業から建設業に移動しても経営者になった人も多い。

4) 最終学歴について

中学校卒業(尋常小学校・国民学校含む)
32
高等学校卒業(中退含む)
7

 戦争前後に生を受けた人は全員が国民学校や新制中学の卒業生である。そして、親や親戚の元で年季をあけて上京した人が多いが、なかには海軍工廠工員養成所を終えられた方や東京大空襲で身寄りがなく12歳で働きはじめた方もいる。徒弟制度が色濃く「親方がすべて」で生きるための技術、技能を備えてきたのである。首都圏アスベスト訴訟のなかで被告製造メーカーは必ず「アスベストが危険ということを何故知らなかったのか」という尋問がある。原告は「親方がこの材料を使えといえば使うだけで私たちはアスベストという名前を知る由もなかった」と答える。昭和20年代以降に生まれかたは工業高校などを終えられている。大学卒業生は1人もいない。

5 個別就労実態と労働者性の特徴

 39人の職歴から特徴的、印象的な人を追ってみた。
(1) NO 3  中学を終え、他産業で働いたあと、過酷な黒部ダム建設に5年間従事。その後生活基盤の安定をもとめて、東京タワー建設に代表される高度経済成長時にビルなどの内装工事で働く。14年間の労働者生活から法人代表者に。事業主特別加入で認定。霞ヶ関高層ビルに従事したときの完工メダルが労災認定に良い証拠となった。最終曝露現場は皇居新宮殿となっている。

(2) NO19 肺がんで亡くなられてから労災申請をした方である。奥さんもすでに亡くなられていたので長女の方からの聴き取りとなった。困難な事案であった。青森県から出てきて祖父のもとでお父さんは25年間働いた。いわゆる親からの事業継承である。肺がんは10年以上の労働者性が求められる。公的証明は一切ない。建前時の写真が残っていた。写真では後ろのほうで小さくなって写っていた。この後ろの小さいことで労働者性を主張した。事業主の事業継続者であれば前列の中央にいるはずだから。そのほかに元同僚を探し親のもとでは賃金労働者であったことの証明をしてもらった。粉じん曝露証明では当時建てた現存する家の写真を提出した。労働者で認定。

(3) NO24 この方も親のもとで築炉工やレンガ積工として働いた。労災補償での親子関係は非常に難しい。零細事業なので公的証明が無いと思われていたが、関係書類を持ってきてもらったところ、平成4年の特別区民税・都民税の納税通知書が一枚だけ出てきた。この一枚が決め手となった。親の元で労働者として働いたときの源泉徴収が立証したのである。全就労期間38年間のうち22年間の労働者性を主張できた。労働者で認定。

(4) NO34 戦後の混乱期に12歳でブリキ職人の道に入った。いや生きるためにブリキ職人の親方に身を寄せたといった方が良いだろう。典型的な転々労働者である。向島地域を職域として12歳から74歳まで62年間ブリキ職人、板金、屋根職人として働いた。この62年間で具体的証明をとれた事業所、同僚証明が計11枚。おそらく本当はもっと多くあったのかも知れない。二人で向島地域を転々と歩いた。この転々労働をつなげられたのは申請人の人柄と記憶の正しさだった。転々労働者のなかには「こんな仕事できない」と啖呵をきって辞めた職人が多いが、この方は生きる道は「他人と上手くやる」ということを幼少時に経験したのだろう。労働者で認定。

表

(5) 区民相談での労災認定者から 肺呼吸が困難になり近所の医院から酸素ボンベの使用をすすめられた。酸素ボンベ業者が専門医の芝病院の藤井医師を紹介。藤井医師から労災申請を依頼されたケースの人である。この方はアスベストスレート建材会社に勤めて曝露したものであったが、昭和22年まで故郷の福島県の金剛鉱山の石綿採掘加工工場で働いていた。採掘を止めた関係で東京の親会社アスベストスレート工場に異動し長年勤務。日本の石綿採掘現場で働いた最後の方かもしれない。一生、アスベストに携わった人である。

6 全国に埋もれているアスベスト被害者

出身県
北海道
1
青森
1
岩手
2
宮城
1
山形
1
福島
1
茨城
3
栃木
1
群馬
2
千葉
2
埼玉
1
東京
14
新潟
3
山梨
1
長野
1
愛知
1
島根
1
愛媛
1
熊本
1
 
 
39

 平成20年度の全国の石綿による肺がん、中皮腫、良性石綿胸水、びまん性胸膜肥厚の支給決定件数は1,114件。埼玉・千葉・東京・神奈川の4県で320件、大阪・兵庫で272件となっており6都府県で592件と全国の53%を占めている。建設業のじん肺(石綿肺だけの統計はない)では全国で350件、埼玉・千葉・東京・神奈川の4県で83件、大阪・兵庫で31件となっており114件で32%を占めている。足立支部申請の認定労働監督署は13署にのぼる。北は札幌、函館もある。
 全建総連第50回定期大会資料によればアスベスト関係の労災認定数は138人となっており埼玉・千葉・東京・神奈川の4県で110人、大阪・兵庫で2人となっている。53の都連、県連、組合で労災認定が16で11%の状況である。
 アスベスト申請、認定が高い大都市圏では受診体制、専門医の問題もあると考えられるが、じん肺(石綿肺)は大都市圏外でも全国で労 災認定者が多い。これは全国のトンネルじん肺裁判などで被害者の掘り起こしが全国の運動で広がったのではないだろうか。
アスベスト渦に巻き込まれ亡くなった建設労働者は無数にいると考えられる。

1) 39人のうち25人は東京以外の地方出身者

 右記の表は支部で労災認定した方の出身県である。多くは首都圏の過酷な建設現場でアスベスト曝露したものであるが東京都内で働く前にアスベストに曝露していた方もみられる。全国にはアスベスト被害とは知らずに亡くなられた方も多いと推測している。

2) 北海道からの出稼ぎ労働者が労災認定

 NO18は型枠工の方で北海道からの出稼ぎ労働者者だった。平成11年に私どもの組合に加入し平成20年肺がんを発病。東京では型枠大工をしていたので粉じん作業は考えられなかった。聴き取りのなかで中学卒業後、函館市内の建築会社で解体、はつり、ボード張りなど建築一式の工事の仕事をしていたことが判った。東京ではお一人で寮住まいだったので故郷で療養することになり、アスベスト曝露した住所地の函館労基署に労災申請し認定となった。

3)岩手県から出稼ぎにきて4ヶ月でアスベスト被害がわかる

 NO36 配管工の方は足立支部に平成21年6月1日に所属事業所を通じて組合加入した。岩手県出身だった。支部の7月の集団健康診断の再読影で肺の異常を指摘された。9月にじん肺管理区分申請したあと息子さんの車で帰省した。後日、管理3ロで続発性気管支炎の合併症であることが判り労災申請の準備。中学卒業後に三陸沿岸部で設備工になり公共建築物やホテルなどではつりや解体などもしていた。係わった建物の写真とりや過去に勤めた事業所から従事証明をもらい、最終事業場である12月に足立労基署に申請。その後申請人が工事した岩手県立病院がアスベスト未処理であることが判り補強資料として申請。平成22年6月22日、新宿労基署管内の大手ハウスメーカー労災で労災認定となった。私は申請人とは帰省する一日というより二時間しか聴き取りしていない。あとは電話、郵送での連絡。私も岩手県出身なので「お国言葉」でのやりとりだった。

 申請例が長くなったが地方の建設労働者、出稼ぎ労働者には数知れずのアスベスト被害者がいるにちがいない。ちなみに先の岩手県の岩手労働局発表の平成17年、18年、19年、20年の4年間で石綿労災認定者(粉じん除く)は3人だけだ。この3人も建設労働者かどうかは判らない。

7 今後のアスベスト被害者救済に向けて

 高度成長にあわせて大量に使用されたアスベスト建材の粉じんを吸った労働者の潜伏期間がこれから解けてくる。アスベスト被害の今後の予測として石綿肺がんだけでも海老原医師(NPO法人 職業性疾患・疫学リサーチセンター理事長)の研究調査によれば毎年8、000人の死亡者が推定されるという。これに、石綿肺、中皮腫を加えればこの倍になる予測もされる。

1) 今後、増え続ける建設労働者の被害

 海老原医師は社会労働衛生2006年第1号で次のような報告している。「わが国の建設作業者は政府統計で540万人、退職者を含めると1、000万人、平成14年の男性の、人口10万人に対する肺がんの死亡者数が66、8人です。建設作業で石綿曝露を受けた人が1、000万人と仮定すると、これを掛け算して、さらに建設作業者では日本人男性と比較すると1.24倍を掛け算すると8、283人の人が肺がんで死亡することになります。このうち建設作業者の肺がんであれば、76%が臨床所見のみで石綿関連肺がんとして労災認定される基準をクリアしている。にもかかわらず殆んどの人がタバコのためと処理されている。」
 また、2005年10月12日の東京新聞一面の記事(共同通信)。「今後発症する中皮腫は最大で5万人、肺がん患者は3万5千人と環境省の発表」と報道している。いずれにしても建設労働者は将来にわたってアスベスト問題と対峙していかなければならない。

2) アスベスト問題に組合が正面を向く

 2005年6月29日にクボタショックが起こった。東京土建でも対策が始まった。足立支部では7月5日に足立区にたいし「アスベストに関するお願い」として区内建材工場内の安全衛生の強化、労働者の専門医に健康診断、工場周辺の被害者調査の申し入れをおこなった。そして区内の建材工場で懇談をおこなった。
翌春には海老原医師の講演会を開催するとともに足立区医師会に対してアスベスト外来開設の要請をした。そのなかで日本民医連の病院である柳原病院が8月に芝病院の協力も得てじん肺・アスベスト外来を開設してくれた。組合がアスベスト問題に正面から向き合うということが組合員にも広く理解されるようになり多くの相談者が見えるようになった。NHKはじめマスコミからも取材がくるようになり報道されるとさらに相談数が多くなった。労災申請数も多くなるので、自然と体制が強化されて相談水準も高まって行った。
 組合員の生活と権利擁護が組合の使命である。アスベスト問題に正面から向き合い建設組合固有の課題として第一義的に据えることが重要である。

3)アスベストを意識した医師、医療機関がふえる

 全建総連傘下の組合でアスベスト被害者救済の壁となっているのが「わかる医師・医療機関」が少ないという実情である。しかし、アスベスト問題が社会的にひろがるなかで「分る医師」が少しずつ多くなっている。足立支部の45人の被害者を診ていただいた医療機関は次の通りである。しばぞの診療所(海老原勇医師)21人、芝病院・柳原病院(藤井正實医師)17人、そして中皮腫5人、肺がん1人、じん肺1人は被害者の通っている主治医である。まだまだ15%と少ないが、ここ最近は5人に1人は主治医である。肺がんのレントゲンフィルム読影は難しいかもしれないが、中皮腫は多くの医師が認める。じん肺(石綿肺)は各都道府県の労働局衛生課の管理区分となるため労働局への申請を強めることが重要である。

4)アスベスト問題に理解が得られる医療機関を多く

 医療機関の友の会(医療機関の共同組織)で活動している友人から「松舘さん、友の会会員で咳きのひどい人がいる。塗装職人なのでアスベストが原因ではないか」との電話をいただいた。過去の職歴などを聞き専門医で肺の診断をしてもらいじん肺管理区分申請したら、療養に値する決定だった。NO13の塗装職人さんのことである。
 全日本民主医療機関連合会(略称 民医連)の月刊誌民医連2006年5月号アスベスト問題特集で九州の田村昭彦医師は5つの視点から次のようにまとめている。「第1にアスベスト被害者が、患者や共同組織の人びとやその周辺に多く存在していることに注目する必要がある。第2は、アスベスト問題への取り組みは日常医療活動を生活と労働の視点で見直す活動であることだ。第3に、この取り組みを通じて働く人びとの健康問題を担っていく人材の育成に努めることが重要である。第4にアスベスト問題に取り組む活動を全国的に繰り広げることが重要である。第5にこれらの取り組みを通して、労災認定基準や肺組織のアスベスト線維数測定が可能な機関の設置を全日本民医連規模で検討すべきであろう。」とまとめている。このような指摘事項を実践すべく2008年、全国の医師14人で全日本民医連アスベスト多施設調査研究班を発足させた。研究班では肺がん患者の胸部X線と胸部CTの画像を判読する読影会をひらき、研究成果を日本産業衛生学会や日本呼吸器学会、日本社会医学会で発表している。
 全建総連の傘下組合の多くは集団健康診断をおこなっている。まずこのような医療機関との関係づくりから糸口がみつかるはずである。

8 一過性の問題ではなく未来永劫の課題として

 学校施設に危険な吹きつけアスベストがあると、1987年にアスベスト学校パニックが起こった。東京土建一般労働組合の理論資料誌「建設」43号(1986年12月)に「命にかかわるアスベスト粉じん=京建労のとりくみの紹介=」(京建労吉野六郎書記次長 当時)として建築現場調査、分析結果、仲間の健康診断の実施などを論じている。同じ号で「アスベストじん肺と建設労働者」(東京土建本部木津玖美子書記   当時)が石綿肺の危険性、取り組みの強化を訴えている。当時、アスベスト輸入はまだ300万トン前後続き輸入の高い山を続けていた。石綿協会は「政府は石綿渦をおおげさにでっちあげ」とキャンペーンをはっていた。
 木津玖美子書記の文の中に労働省統計によると石綿による肺がん・悪性中皮腫の職業病認定者は昭和23年から昭和61年まで42人、昭和57年から昭和61年までの東京土建の組合員の肺がん死亡者は36人、そのなかで悪性中皮腫が二人と述べられている。私の入職前のことなので当時の問題認識はよくわからないが、現在と比べて見えるかたちの被害者がまだ少なく問題意識が広がらなかったのではないだろうか。当時から25年以上過ぎて、アスベスト潜伏期間が解けてきて被害者が激増している。

 全建総連50回大会の第2分科会(労働対策)の議事要録には「まだまだ被害に苦しむ仲間が埋もれているのが現状だ」「47都道府県には表面にでない、肺がん等の名称で処理されている方が相当数いると思う」など切実な訴えが述べられている。
全建総連の各組合・支部は一過性の問題にしないで未来永劫の課題として取り組むことが求められている。

参考書
全建総連ブックレット(31) 手間請就労者を巡る諸問題と課題
  全建総連顧問弁護士 古川 景一 (2006年5月)

東京土建産業対策活動者会議 労働者概念と理論的課題
  関西大学法科大学院教授 川口 美貴(2009年12月13日)

建設産業における個人請負労働者に関する研究報告書
  個人請負労働者に関する共同研究会 (2010年4月30日)

建設作業者の石綿関連疾患  医学博士 海老原勇  
  NPO法人 職業性疾患・疫学リサーチセンター理事長  (2007年6月20日)

理論資料集「建設」46号  千葉大学医学部助教授 海老原 勇  東京土建(1987年9月)
     
理論資料誌「建設」43号                    東京土建(1986年12月)

アスベスト問題の過去と現在  石綿対策全国連会議  アットワークス  (2007年11月23日)

アスベスト禍はなぜ広がったのか  中皮腫・じん肺・アスベストセンター編
  日本評論社(2009年6月25日)

首都圏建設アスベスト訴訟 甲A第173号証 意見書 建設アスベスト被害と政府・業界の責任
  立命館大学教授 森 裕之 (2010年1月18日) 

職業性石綿ばく露と石綿関連疾患  産業医学総合研究所森永 謙二 
  三信図書(2005年3月25日)
                 
民主医療連盟 民医連医療405号  福岡・九州社会科学研究所
  医師 田村 昭彦 (2006年5月号)
民主医療連盟 いつでも元気  肺がん8人に1人にアスベストが影響   (2010年3月号)

アスベスト問題を広範な市民とのたたかいに

 東京土建足立支部書記次長 松舘 寛

はじめに

 「多くの申請を行なうことで労働基準監督署に慣れてもらう必要がある。労働行政を変えていくためにも組合員の健康相談、専門医受診、労災申請を大いにとりくむ運動がもとめられているのではないだろうか」
 この一文は建設労働のひろば56号(2005年10月号)に寄せたときの私のまとめである。
 この3年間で東京土建のアスベスト運動は大きな前進があった。健康診断再読影のシステム化、専門医療機関の増設、労災認定運動では2005年までには7人だったのが2008年9月現在26人となり申請中が4人なので今年末には30人になろうとしている。東京土建のアスベスト認定者は05年には19人、08年9月現在では253人となり労災認定運動では支部の調査、実務水準がたかくなってきていることのあらわれであり労働基準監督署の「慣れ」もあげておきたい。
 ただ大きな運動前進の影で残っているのが市民的広がりをつくれていないことではないだろうか。足立支部でも支部が区のアスベストセンター的機能を作ろうと掲げたが機能が発揮しているとはいえない。首都圏建設アスベスト訴訟という歴史的たたかいがはじまった。いまこそ広範な市民とのつながりを作ることが課題となっている。そのなかで足立支部の経験を少し紹介したい。

 

区民にも被害者救済をひろげるたたかい

 足立支部は05年のクボタショックとともに区内の製造メーカーへの申し入れや駅頭宣伝などの世論づくりをするとともに06年の4月に区民、医師、組合員対象にした海老原先生を迎えての講演会開催をした。医師会会員への案内送付、駅頭宣伝、製造メーカー近隣分会でもチラシ配布をした。
 講演が終って一人の婦人がチラシを握り締めて私のところにやってきた。ご主人が肺がんを患って亡くなった原因はアスベストではないかという相談。婦人はマンション郵便受けに投函されたチラシを見てきたということだった。翌日、くわしい話をうかがった。ご主人は麻袋再生業。海老原先生にCTフイルムの読影してもらったところアスベストが原因とわかったが麻袋再生業とアスベスト曝露の因果関係証明が課題となった。調査するなかで上野労働基準監督署での認定事例があり補強資料とした。労災認定されたあとご婦人は「これで夫の死亡原因がわかり胸のつかえがとれました」

 

組合員と偶然に出会って=産廃収集運搬業者=

 「スミマセン、こちらでアスベスト労災の相談してくれると聞いてきたんですけど……」と年配のご婦人が事務所を訪ねてきた。買い物中に以前に自社の産廃収集運搬会社に勤めていた組合員と偶然会い夫の病気の話しをするなかで「土建組合の事務所に相談したら」とのことで来所した。夫は悪性中皮腫で危篤状態。仕事は中学生時代から故紙、古物回収、廃棄物分別処理を生業としてきたことだった。
 紙とアスベストの因果関係を証明するのに苦労したがなんとか労災認定を受けることができた。生前に認定できなかったことが悔やまれる。ただ会社倒産、個人破産し生活保護の暮らしが遺族年金で生活保護を打ち切り自分の暮らしができるようになった。明るさをとりもどした奥さんはパートにも出られ孫にも菓子ぐらい買ってあげられると喜んでいる。

 

銀行員が分会長へ相談=アスベスト製造会社技師=

 ある分会長から一本の電話が入った。「取引先の銀行員の義父が肺がんでなくなったのでアスベストが原因ではないか」とのことだった。銀行員は東京土建がアスベスト被害者救済をやっていることをインターネットで知ったとのことだった。
 奥さんと娘さんに事務所に来てもらって聴き取りをした。生前は埼玉県内のアスベスト製造会社の検査技師で二つの会社に勤務歴があり労働者性は問題がなかった。胸部レントゲン、CT読影に海老原先生読影はプラークが認めたが「埼玉は厳しいぞ」。芝病院の藤井先生からも「K監督署は問題があるぞ」との助言のなかで2007年11月2日にK労働基準監督署に申請した。2008年1月10日不支給決定が下された。実質2ヶ月だけの調査であり申請人の聴き取りもないなかでの決定だった。
 申請人とともにK労基署で不支給決定についての理由を求めた。労働者性と粉じん曝露を認めたが医学的に認定基準に達していないとの回答だった。「胸膜プラークがあったのかなかったのか」という問いには沈黙がつづいた。
 2時間の押し問答でようやく口をひらいたのが「特徴的なプラークの形態をしめしていない」だった。「特徴的とは何か」とたたみかけると解らないとの回答。わからないで不支給にしたのかと追及したら、「労災医員が決めた」と本音の答弁。給付の認定は労基署に決定権があると抗議した。

 

民主的な労働行政を

 足立支部としてはこの労災申請は申請人の救済とともに反動的な埼玉労働局にたいして「風穴」をあけることだった。ただちに審査請求するとともに行政文書開示請求と保有個人情報の開示請求をおこなった。開示された労災医員の意見書には一人の医員はプラークなしだったが、もう一人の医員と思われる追記には「特徴的なプラークの形態を示していない」が記載されていた。審査請求の意見書には医学的判断の齟齬(そご)を論述するとともに調査の不十分さ、過去の認定にかかわる不作為もとりあげてK労基署の労働行政をただした。
 申請人の奥さんや娘婿の銀行員さんから「ここまでやっていただきありがとうございます」とお礼状がとどいた。たたかいはこれからだ。

 

最大労働組合としてのたたかい

 足立支部は26人の労災認定者のうち現役組合員が16人、元組合員6人、非組合員4人となっている。元組合員は国保組合、本部からの通知もあったが口コミの方もいた。労災申請まで至らなかったが管理区分申請者のなかで組合員の親戚の方で相模原市在住の方もいた。監督署から紹介された例もあった。これは活動者会議や機関誌などで一般の組合員までアスベスト問題は支部が一定の信頼を得ている結果ではないだろうか。
 しかし、組合員のなかにはアスベスト救済はひろがったが、まだまだ区民的ひろがりを得ているとはいえない。足立区は庶民の街である。建材製造メーカーの労働者、造船労働者、麻袋再生業関連労働者や皮革労働者も在住している。ニチアス専門運送業者もいて被害者がいることも耳にした。足立区北部は産廃銀座といわれるほど産廃廃棄処理会社の集積地である。アスベスト被害者はまだまだ潜在していると思われる。
 東京土建一般労働組合は全国的にも巨大な労働組合となってきた。各支部も地域最大の労働組合数を組織してきた。しかし、現状では地域からの期待と要望に応えてきれていないのではないだろうか。組合の中にはアスベスト問題は「一区切り」ついたような印象があるがこれからが本当のたたかいだ。「アスベストのことなら東京土建へ」というぐらいにならなければならない。

 

世論形成がアスベスト訴訟の勝利

 7月に以前勤務した支部の周年行事に出席したときの話。「松舘くん久しくみないと思っていたらテレビに出ていたね」と何人かから声をかけられた。2年前にNHKのニュース番組で、アスベスト救済で私が10数秒放送されただけなのに組合の仲間に強くインプットされていたようだ。
 マスコミのなかでも映像メディアは世論形成する大きな媒体だ。それをささえるのは口コミである。口コミは家庭や職場、居酒屋などでそれぞれが「評論家」となり世論が確固なものとして構築されていく。先般のC型肝炎訴訟は典型である。政治日程も世論動向で決まる時代となった。
 東京土建も首都圏の建設組合の仲間と建設労働者にとっては歴史に残るたたかいをはじめた。首都圏建設アスベスト訴訟。訴訟勝利には原告、弁護団、支援団体の奮闘とともに世論の追い風が必要となっていく。
 マスコミ対策は統一本部が行っているが各組合、支部、組合員は地域対策で世論を構築することが急務である。
 地域支援共闘の結成とともに「アスベスト問題なら東京土建」といわれるような口コミの風をおこしたい。

アスベスト訴訟に勝利する駅頭宣伝行動

 「まじめ一筋で働いてきた建設職人がアスベスト被害に遭ったのは国と製造会社の責任です」という声が道行く人たちに響きわたりました。足立支部はアスベスト訴訟勝利に向けた宣伝行動を11月7日、足立区内三駅でおこない勝利への意思統一をしました。
 北千住駅には組合員21人のうち原告、家族8人が参加し宣伝の先頭になって署名活動に取り組む姿に組合員が元気をもらう一幕もありました。署名には若い建設労働者が足をとめ積極的に書いてくれたり、原告団のタスキ姿におもわず足をとめて署名してくれたサラーリーマンもいました。参加者は三駅で64人、署名数は252筆集まりました。

写真写真

足立区内の労働組合に アスベスト訴訟の協力を要請

写真
足立区労連に申し入れをする橋本部長

 首都圏アスベスト訴訟に関する理解と支援を求めて、8月25日(月)に近隣にある13の労働組合を支部役員、書記、計6人で訪問しました。
 今回の協力要請内容は、首都圏建設アスベスト訴訟の運動を各団体の皆さんに理解し、広めてもらうこと。そして支援金のお願い。また、アスベスト被害根絶の国会要請署名、さらに、今後地域のアスベスト訴訟の共闘会議への参加、協力等です。
 私は、橋本労働対策部長と五ヶ所を訪問しました。ある団体の対応者は「私自身、過去に造船所での勤務経験があり、その時代の同僚が現在アスベストに苦しみ、労災申請をおこなっている、アスベストの恐ろしさも知っているし、国や企業には重大な責任があることもわかっている、是非とも、協力できる部分は協力していきたい」と話しました。
 また別の団体では「とても重要な問題なので、今度の会議でアスベスト訴訟の状況などを訴えてほしい」と、前向きな話もできました。
 署名やカンパは後日訪問して集める予定です。
書記局 上條 拓

勝つ為に最大の努力を 第3回「被害者の集い」

写真
訴訟に向け意志統一!!

 名称を「被害者の集い」に変更して、第3回目の会合を行いました。参加者は15名で、これからますます増えるアスベスト被害者と労災認定者の被告など、これからの闘いと裁判で勝つ為には身体の許す限り最大の努力をして立ち向かってほしいことなどを話し合いました。鎌田弁護士よりアスベスト裁判の訴状説明がありました。原告の身体的被害、精神的被害、家族の被害など、被害に対しての慰謝料請求と謝罪を求め頑張ります。
最後に原告や家族も裁判集会、デモなどに参加できるように鎌田弁護士からの励ましで終わりました。
橋本

写真
佐藤雅子さん

8ヵ月間の闘病生活

 結婚して初めて主人から病院に行きたがり、日医大で検査を受け悪性胸膜中皮種と診断され愕然としました。まさかアスベストだとは。抗がん剤を投与するも効果がなく、その後症状が悪化し歩くのも困難、食事も受け付けなくなりました。その後、容態急変し、意識を取り戻すことなく永眠しました。

夫を返せ、俺の身体を返せ

 建設現場でアスベスト被害をうけた現場労働者172人が国と建材メーカーをあいてどり東京地裁に提訴しました。この原告団のなかに足立支部の仲間が15人がおり約1割を占めています。この15人のなかで7人は無念にも遺族の方々です。
 「夫を返せ、俺の身体を返せ」と横断幕のあとには亡き夫の遺影が一緒です。アスベストの危険性を知っていて使用させた国と製造メーカーの不作為は絶対許すことができません。原告団、弁護団、支援者(組合)は一体となりこの戦いを勝利する決意です。

 

写真写真

 

写真写真

 

写真写真

5月16日、首都圏建設アスベスト訴訟とその取組み

 「俺は大工として板を削ってきたとおもったら命を削ってきた」とアスベストが原因で無念の死をとげた組合員の言葉。アスベスト問題は他人ごとではなく建設労働者全員の心配ごとです。
 アスベストは「魔法の鉱物」といわれ1000万トンの輸入のうち9割が建設資材に使われてきました。国とアスベスト含有建材製造企業は発がん性を有するきわめて危険な物質であることを知りながら経済性や効率性を優先させ大量に使用させて建設労働者の生命と健康を犠牲にしてきました。
 東京土建を中心とした首都圏の労働組合は「国とアスベスト含有建材会社」に法的責任があると5月16日に東京地方裁判所に提訴することになりました。原告団211人(東京土建137人、埼玉土建22人、千葉土建11人、神奈川県連38人、東京都連3人)のうち足立支部は15人が原告団に加わっています。この原告団の弁護団には100人もの弁護士が参加しています。東京土建本部大会でも13万人の力でアスベスト訴訟に勝利しようと決議しています。勝利のために3月には組合員さんにから募金もいただいています。
 足立支部はアスベスト被害者救済、労災認定活動とともに訴訟に積極的にかかわり、東京土建原告団には足立支部から古関さんを副原告団長に送っています。呼吸器疾患の被害者は歩くことも大変です。また、夫や父をアスベストで無くした遺族は心の中にポット隙間があります。すこしでもみんなで元気を出そうと15人の足立支部原告団はこの間2回の会合をもちお互いを励ましあっています。
 裁判は3年間での決着をめざしています。これからも組合員さんの支援が必要です。「明日はわが身」という点からも宜しくお願いします。

足立支部労働対策部長 橋本 正三

アスベスト裁判足立支部交流会

 東京土建本部ほかで準備を進めている建設アスベスト訴訟。「お父さんが早く亡くなったのは国と製造メーカーの責任だ」と足立支部からは15人の被害者、遺族が立ち上がりました。
 5月の提訴にむけて足立支部被害者の会は2月26日、北千住法律事務所鎌田弁護士、橋本労働対策部長から裁判の意義の説明を受けてたたかう意思統一をおこないました。松舘書記からは足立支部のこの間の取組み、岩崎職員からは不支給者の救済にむけた審査請求から再審査請求のたたかいが報告されました。
 そのあと全員で訴訟委任状、委任契約書などの集団書き込みをおこなったあと、昼食をとりながら各自の近況や初めての方の紹介など交流をふかめあいました。

 

写真写真

アスベスト建造物の調査・解体の専門業者のご紹介。

  川口解体工業株式会社 のホームページ

労災認定闘争の現場から

鍵は職歴調査と添付書類

東京土建足立支部書記次長 松舘 寛

はじめに
 「松舘さん、俺はこれ以上思い出せないからもう労災申請はいいよ…」。平田福二(仮名)さん(スレート工・71歳)は、職歴づくりに疲労困憊(こんぱい)した顔で話してきた。私は申請者に強く言わなければならないのは「第三者が分かる職歴と使用材料・用具」の説明が必要だからである。
 ご夫婦で相談に見えた方には「奥さんにがんばってもらいますよ」と強調する。労災認定の医学的判断は、しばぞの診療所の海老原先生にお願いすることとし、支部の書記ができることは職歴作りと添付書類収集、そして労働基準監督署交渉ではないだろうか。
 「奇跡に近い、東京土建だからできた。なんどもくじけそうになったが、組合に入っていて本当によかった」という平田福二さんは、平成17年1月26日にA労基署で申請し、最終曝露管内のS労基署に廻され、同年6月24日に労災認定となった。
国策的に使われたアスベスト
 平田福二さんは中学卒業後家業の農業を手伝ったあと昭和28年に上京。東横線を中心とした駅ホームの屋根工事現場で働くこととなる。昭和28年といえばアスベストの輸入が本格化し昭和49年35万トンを超える輸入量のピークを迎えることとなり、日本経済高揚期とともに都市部の建設ラッシュとなった。都市化とは不燃化促進であり、アスベスト含有建材が国策的に使われることとなった。
労働者性の証明作業
 平田福二さんは昭和28年からスレート取付事業所に勤務したあと、事業所の後を継ぐ形で平成4年に事業主となった。労働者から事業主となるケースは建設従事者に多く見られるが、労災認定ではこの二つの労働形態の継続性・労災保険加入実態がポイントとなり、労災認定を困難にしている。
 平田さんは幸いに独立してすぐ労災保険の事業主特別加入をした。しかし、事務手続きの都合で14日間の空白が調査で指摘を受けることにもなった。
 労働者性を証明するにあたって困難であったことは、働いていた事業所が閉鎖し事業主が死亡、そして奥さんが危篤状態で入院していたことであった。
 私は就労期間証明証を作成し、署名捺印のみできる用紙に奥さんの確認のもとに子息より署名捺印をいただくことができた。労働者性を強調するために、二人の元同僚からも同僚証明証をいただいた。労基署による事業所確認が行われることを想定して、閉鎖謄本を法務局に出向いて用意した。
 聴き取りや資料相談で回を重ねているうちに双方の気心も伝わってきたとき決定的証拠が話された。「あそこの現場で仕事しているとき労災事故にあって入院したこともあったな―」。元請労災をつかっていたため、労働者性が確かなものとなった。

現場作業職歴証明

 野丁場労働者の場合は専門性が高く、労働作業が同一なので、比較的作業履歴証明がつくりやすいのが特徴といえる。
 平田福二さんの労働作業も石綿含有スレート、大小のリブスレート、フレシキルボードの屋根取付・内装工事に限定され、工具も集塵丸ノコや弓ノコ加工するため粉塵作業であることが証明しやすかった。
 現場は駅舎関係が大半をしめているので、沿線駅を順に追って思い出してもらった。スレート取付作業が主な仕事で石綿曝露の原因となった「取付現場写真」も探していたら、渋谷駅での作業写真が見つかった。このときは認定への確信が強くなった。
 さらに石綿曝露性を補強するために、倉庫のなかから当時の一番古いカタログを引っ張りだすことができた。

労働基準監督署との交渉と協力

 在住しているA労基署に申請に出かけた。労基署の担当課長は「最終曝露の問題などがあるので、申請書は預かるだけにしてくれ」ということだったが、本来提出義務のない管理区分の提出などを求めたことに対して、提出義務がないことを主張し、タライ廻し行政を批判したりした結果、A労基署で調査することになった。その代わりといっては変だが、調査にたいしては紳士的かつ協力的におこなった。本人調査が終わり、最終曝露地所轄のS労基署での調査は申請者本人ではなく代理人である私からの聴き取り調書で済むこととなった。
 7月27日、「石綿による疾病に係る事務処理の迅速化等について」の厚生労働省の通達が出された。この通達の一部に「請求書の提出を受けた監督署における事務処理」の項があり、A労基署との交渉経緯が結果として通達に盛り込まれていた。
行政の業務の継続性を主張
 私は足立支部に2年半前に異動になり、じん肺・アスベスト関係で6人を申請し、4労基署8人の担当者と交渉することとなった。一番怒りを感じたことは、M労基署でのこと。4月の異動期に「裁判と同じように、担当者が替われば法令解釈が違うので再調査する」と新任担当課長から暴言が吐かれた。当然私は、行政は司法と違い、業務継続性を主張したことは言うまでもない。
 T労基署の聴き取り調査は常軌を逸していた。1時間から2時間ということで調査が始まったが、午後5時を過ぎて4時間を越える聴取となった。私は2時間を越えたあたりから抗議を続け終わってからは厳重注意をすることになった。
労働行政の変革を目指して
 行政の錯綜する理由は、一言でいえば「転々労働者」(通達では建設労働者のことをこう呼んでいる)の労災申請に熟知していないということである。4労基署の担当は課長(次長もあり)が当たっていることからも、私たちの申請がまだまだ少ないと思う。多くの申請を行うことで労働基準監督署に「慣れて」もらう必要がある。労働行政を変えていくためにも組合員の健康相談、専門医受診、労災申請を大いにとりくむ運動が求められているのではないだろうか。(まつだて ゆたか)

―建設労働の「ひろば」2005年10月号より―

2007年アスベスト被害者6人が労災認定

 2007年、足立支部ではアスベスト被害者6人の労災認定者を数え、2002年からの労災認定者は21人となりました。今年の特徴として中皮腫の病魔に冒され亡くなったお二人は足立区内の病院での発見でした。ようやく中皮腫はアスベストが原因という認識が医療機関にも広がっていることを示しました。  また、昨年、秋からはじまった足立区曙町にある柳原病院アスベストじん肺外来に相談した二人の被害者の労災認定者もありました。審査請求中がお一人、労災請中が4人と石綿肺手帳交付が一人、管理区分申請者が一人となっています。アスベスト被害者まだまだ出ることが予測されます。
 足立支部では組合員のみならず区民の相談も受けております。

中皮腫

肺がん

石綿肺ほか

総計

02、03、04

0

1

3

4

4

2005

0

3

0

3

7

2006

1

3

4

8

15

2007

2

2

2

6 

21

 

アスベスト問題 製造会社と国の責任 アスベスト訴訟に12人が原告

本部原告団副団長に綾瀬分会の古関さん就任

 「お父さんが亡くなってから悲しみの毎日です」「アスベストがなかったら家族みんなでもっと楽しめたのに」…。被害者から悲痛な声が出されました。
 10月1日、足立支部ではアスベスト被害者・アスベスト訴訟足立原告団懇談会をおこないました。橋本労働対策部長からアスベスト対策活動のあと訴訟の意義について次のように訴えました。
 アスベスト労災認定者は本人・家族の努力とともに組合の力が大きく働いた。しかし、今後20万人とも40万人ともいわれる被害者が予測されている。アスベスト訴訟は原告者の勇気が被害者に大きな道しるべとなると激励しました。
 本部原告団副団長に就任した古関修一さんは終わりの言葉で散会。出席者から次の会の要望も出されました。

写真
足立支部アスベスト被害者・家族関係者の写真

東京土建足立支部のアスベスト対策について

被害者の救済活動

2005年クボタによるアスベストショックとともに区内製造メーカーとの懇談、住民への啓蒙など積極的におこなってきました。被害者の救済には以前からも取組んできましたが2007年8月まで18人の労災認定をすることができました。組合以外でも足立区民4人の労災認定を受けています。被害者救済には「アスベスト専門医」による受診が大事になります。足立支部では「しばぞの診療所」「柳原病院」ともに連携をもち早期発見早期治療、そして労災申請・認定の敏速化につとめています。

写真
日韓アスベストジンポジュウムに足立支部から代表が参加。

区民も建設事業者もこれ以上の被害者を出さないために

アスベストの総輸入量90%が建材に使われました。使われたアスベストはこれから解体などで飛散する恐れもあります。東京土建は建設業者の石綿特別教育の受講をすすめ安全な作業がおこなわれ、住民に被害が及ばないようにしています。尚、アスベスト解体専門業者の紹介もおこなっています

 

「NHK首都圏ネットワーク「シリーズアスベスト」抜粋」(約40秒)


無料で ダウンロードできるMadia Playerが必要です。
Madia Playerをお持ちでない方は下バナーよりダウンロードして下さい。 GetWinMP

写真
東京土建国保の手引きカレンダー