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アスベスト問題を広範な市民とのたたかいに

 東京土建足立支部書記次長 松舘 寛

はじめに

 「多くの申請を行なうことで労働基準監督署に慣れてもらう必要がある。労働行政を変えていくためにも組合員の健康相談、専門医受診、労災申請を大いにとりくむ運動がもとめられているのではないだろうか」
 この一文は建設労働のひろば56号(2005年10月号)に寄せたときの私のまとめである。
 この3年間で東京土建のアスベスト運動は大きな前進があった。健康診断再読影のシステム化、専門医療機関の増設、労災認定運動では2005年までには7人だったのが2008年9月現在26人となり申請中が4人なので今年末には30人になろうとしている。東京土建のアスベスト認定者は05年には19人、08年9月現在では253人となり労災認定運動では支部の調査、実務水準がたかくなってきていることのあらわれであり労働基準監督署の「慣れ」もあげておきたい。
 ただ大きな運動前進の影で残っているのが市民的広がりをつくれていないことではないだろうか。足立支部でも支部が区のアスベストセンター的機能を作ろうと掲げたが機能が発揮しているとはいえない。首都圏建設アスベスト訴訟という歴史的たたかいがはじまった。いまこそ広範な市民とのつながりを作ることが課題となっている。そのなかで足立支部の経験を少し紹介したい。

区民にも被害者救済をひろげるたたかい

 足立支部は05年のクボタショックとともに区内の製造メーカーへの申し入れや駅頭宣伝などの世論づくりをするとともに06年の4月に区民、医師、組合員対象にした海老原先生を迎えての講演会開催をした。医師会会員への案内送付、駅頭宣伝、製造メーカー近隣分会でもチラシ配布をした。
 講演が終って一人の婦人がチラシを握り締めて私のところにやってきた。ご主人が肺がんを患って亡くなった原因はアスベストではないかという相談。婦人はマンション郵便受けに投函されたチラシを見てきたということだった。翌日、くわしい話をうかがった。ご主人は麻袋再生業。海老原先生にCTフイルムの読影してもらったところアスベストが原因とわかったが麻袋再生業とアスベスト曝露の因果関係証明が課題となった。調査するなかで上野労働基準監督署での認定事例があり補強資料とした。労災認定されたあとご婦人は「これで夫の死亡原因がわかり胸のつかえがとれました」

組合員と偶然に出会って=産廃収集運搬業者=

 「スミマセン、こちらでアスベスト労災の相談してくれると聞いてきたんですけど……」と年配のご婦人が事務所を訪ねてきた。買い物中に以前に自社の産廃収集運搬会社に勤めていた組合員と偶然会い夫の病気の話しをするなかで「土建組合の事務所に相談したら」とのことで来所した。夫は悪性中皮腫で危篤状態。仕事は中学生時代から故紙、古物回収、廃棄物分別処理を生業としてきたことだった。
 紙とアスベストの因果関係を証明するのに苦労したがなんとか労災認定を受けることができた。生前に認定できなかったことが悔やまれる。ただ会社倒産、個人破産し生活保護の暮らしが遺族年金で生活保護を打ち切り自分の暮らしができるようになった。明るさをとりもどした奥さんはパートにも出られ孫にも菓子ぐらい買ってあげられると喜んでいる。

銀行員が分会長へ相談=アスベスト製造会社技師=

 ある分会長から一本の電話が入った。「取引先の銀行員の義父が肺がんでなくなったのでアスベストが原因ではないか」とのことだった。銀行員は東京土建がアスベスト被害者救済をやっていることをインターネットで知ったとのことだった。
 奥さんと娘さんに事務所に来てもらって聴き取りをした。生前は埼玉県内のアスベスト製造会社の検査技師で二つの会社に勤務歴があり労働者性は問題がなかった。胸部レントゲン、CT読影に海老原先生読影はプラークが認めたが「埼玉は厳しいぞ」。芝病院の藤井先生からも「K監督署は問題があるぞ」との助言のなかで2007年11月2日にK労働基準監督署に申請した。2008年1月10日不支給決定が下された。実質2ヶ月だけの調査であり申請人の聴き取りもないなかでの決定だった。
 申請人とともにK労基署で不支給決定についての理由を求めた。労働者性と粉じん曝露を認めたが医学的に認定基準に達していないとの回答だった。「胸膜プラークがあったのかなかったのか」という問いには沈黙がつづいた。
 2時間の押し問答でようやく口をひらいたのが「特徴的なプラークの形態をしめしていない」だった。「特徴的とは何か」とたたみかけると解らないとの回答。わからないで不支給にしたのかと追及したら、「労災医員が決めた」と本音の答弁。給付の認定は労基署に決定権があると抗議した。

民主的な労働行政を

 足立支部としてはこの労災申請は申請人の救済とともに反動的な埼玉労働局にたいして「風穴」をあけることだった。ただちに審査請求するとともに行政文書開示請求と保有個人情報の開示請求をおこなった。開示された労災医員の意見書には一人の医員はプラークなしだったが、もう一人の医員と思われる追記には「特徴的なプラークの形態を示していない」が記載されていた。審査請求の意見書には医学的判断の齟齬(そご)を論述するとともに調査の不十分さ、過去の認定にかかわる不作為もとりあげてK労基署の労働行政をただした。
 申請人の奥さんや娘婿の銀行員さんから「ここまでやっていただきありがとうございます」とお礼状がとどいた。たたかいはこれからだ。

最大労働組合としてのたたかい

 足立支部は26人の労災認定者のうち現役組合員が16人、元組合員6人、非組合員4人となっている。元組合員は国保組合、本部からの通知もあったが口コミの方もいた。労災申請まで至らなかったが管理区分申請者のなかで組合員の親戚の方で相模原市在住の方もいた。監督署から紹介された例もあった。これは活動者会議や機関誌などで一般の組合員までアスベスト問題は支部が一定の信頼を得ている結果ではないだろうか。
 しかし、組合員のなかにはアスベスト救済はひろがったが、まだまだ区民的ひろがりを得ているとはいえない。足立区は庶民の街である。建材製造メーカーの労働者、造船労働者、麻袋再生業関連労働者や皮革労働者も在住している。ニチアス専門運送業者もいて被害者がいることも耳にした。足立区北部は産廃銀座といわれるほど産廃廃棄処理会社の集積地である。アスベスト被害者はまだまだ潜在していると思われる。
 東京土建一般労働組合は全国的にも巨大な労働組合となってきた。各支部も地域最大の労働組合数を組織してきた。しかし、現状では地域からの期待と要望に応えてきれていないのではないだろうか。組合の中にはアスベスト問題は「一区切り」ついたような印象があるがこれからが本当のたたかいだ。「アスベストのことなら東京土建へ」というぐらいにならなければならない。

世論形成がアスベスト訴訟の勝利

 7月に以前勤務した支部の周年行事に出席したときの話。「松舘くん久しくみないと思っていたらテレビに出ていたね」と何人かから声をかけられた。2年前にNHKのニュース番組で、アスベスト救済で私が10数秒放送されただけなのに組合の仲間に強くインプットされていたようだ。
 マスコミのなかでも映像メディアは世論形成する大きな媒体だ。それをささえるのは口コミである。口コミは家庭や職場、居酒屋などでそれぞれが「評論家」となり世論が確固なものとして構築されていく。先般のC型肝炎訴訟は典型である。政治日程も世論動向で決まる時代となった。
 東京土建も首都圏の建設組合の仲間と建設労働者にとっては歴史に残るたたかいをはじめた。首都圏建設アスベスト訴訟。訴訟勝利には原告、弁護団、支援団体の奮闘とともに世論の追い風が必要となっていく。
 マスコミ対策は統一本部が行っているが各組合、支部、組合員は地域対策で世論を構築することが急務である。
 地域支援共闘の結成とともに「アスベスト問題なら東京土建」といわれるような口コミの風をおこしたい。

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