舎人のモノレール
今から30数年前のことです。地域新聞「まちかど」を発行しました。地域の要求を書いて発表しました。扇の地域は、道路幅が狭く、大型車の通行が困難でしたので、道路幅の改善や火災が起きた場合に必要な貯水池、貯水タンクの設置を求めました。しかもJRを使用するためには北千住まで行かなければなりません。荒川を渡る西新井橋はよく渋滞しており、バスも満員などで乗り遅れて通勤、通学が大変不便な土地柄でした。
それでJR駅への交通機関として「モノレール」の設置を足立区に要求しました。その当時はガリ版刷で、「モノレールの設置を」などの要求を書いて発行しました。その当時は、まだ放射11号線の道路もなく、扇大橋も無かったときに環状7号線道路が、東武大師駅に当たり大師線廃止運動をしていたときでもあります。その後、環七道路が足立区を横切りました。荒川に架かる扇大橋が完成し、尾久橋通りが舎人から埼玉県川口市へと繋がりました。尾久橋通りに都バスが通るようになり、そのときから足立区舎人から荒川区日暮里駅への「モノレール」建設計画が起ちあがった。
しかし、荒川区を通るので、尾久橋通り沿線の荒川区民が反対運動が起こり、一時計画が頓挫したこともあったが、粘り強い要求で計画が進められた。なかなか進まない工事に区民も不安や苛立ちを覚えながらも橋桁が建ち、高架橋で結ばれ、試運転の車両が走りました。2008年3月30日の開業の日をどれほどの区民が万感の想いで向えたのだろう。