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私のふるさと

岩手県二戸市
優しい心を持つ教育も必要
石倉栄蔵(江北分会)

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石倉さん

 私は花の28(にっぱち)と言われる昭和28年に岩手県二戸郡福岡町大字白馬字石倉(現在の岩手県二戸市白鳥字石倉)という前は山、後ろも山、左も右も山。北上山地の北のはし折爪岳のふもとの民家6軒ほどの村に生まれました。東北本線二戸駅(昔は北福岡駅)からバスで1時間かかる村。今は新幹線駅も停まり上野から2時間30分で着きますが、私は夜夜行列車に10時間も揺られて「ああ上野駅」につきました。二戸市は小説「天を衝く」にも書かれているように九戸政実が治めた地です。小田原征伐に出陣しなかった大名の1人で、のちに徳川家康になんと3万の軍が滅ぼされた歴史をもっています。
 村には当然お店もなく魚はカゴでかついでくる行商の人から買う生活でした。当時は食べる米もなく稗(ひえ)や粟(あわ)を食べている家も少なくない中、実家は農家だったため、幼い頃から白米を食べて育ちました。

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 テレビは村で1台しかなかったので、見たい番組があるとテレビのある家にみんなで集合。山奥だったためか、その当時はNHKと6チャンネルしか映りませんでした。
 夏休みは1年生から6年生までの誰かの家に集まり朝8時からラジオ体操をやり、その後みんなで10時半くらいまでドリルの勉強をやりました。学校ではウサギなどの動物を飼っていて、休み中は当番を決めてみんなで世話をしました。今は小学生も少なくなり学校は廃校になり村の集会所になっています。お盆が近くなると自分の家のお墓だけでなくお年寄りの家のお墓掃除と草取りも自主的にやりました。冬になるとストーブに燃やすまき(たきぎ)を学校に背おっていったものです。
 私の小学生の頃はそうした村の人達へのサービスボランティアが子供の頃から自然と身につき、結(ゆい)の精神が宿りついてきました。

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大自然がそこにある

 最近は子ども達のボランティアもあまりありません。だから家族を大切にする心が薄れていくのではないかと思います。そうした子供が大人になってしまうので、今みたいな高齢者や障害者をいじめる政治家が生まれてくるのだと感じます。
 私の子供時代は困っている人を助け合いました。そして、自然のなかで子供からお年寄りまでみんなで助け合うことを知りました。今の教育は学力テストとかなんだかんだと頭の良い子供も良いけれど、その前に優しい心を持つ教育も必要だと思うのは私だけでしょうか。
 岩手の生んだ詩人、石川啄木は詩(うた)っています。ふるさとの山に向いていうことなし、ふるさとの山はありがたきかな。

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