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私のふるさと

山形県東村山郡
大河ドラマの仲間入り
吉田政志(花畑分会)

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吉田政志さん

 わが故郷は、畑谷(はたや)という名称の山形市より西に25kmぐらいに位置する小さな部落です。アイヌ語でハッタラと言う言葉がなまって畑谷に変わったとの言い伝えがあります。ハッタラの語源は底の深い淵のことだそうです。
地図 四方の山々に囲まれて春は新緑の萌黄色に、山裾には山桜が彩る。むせ返るような暑い夏、高い空は青く澄みカッコーの鳴き声が響き渡る。どこにでも湧き水の流れる音が聞こえていました。秋にもなると山々は錦色に燃え田んぼは黄金色の波。取り入れも済み、やがて鉛色の空から毎日毎日雪が降り続く。ただ黙って春を待ったものでした。
 そんな小さな村も来年のNHKの大河ドラマの舞台にも少し仲間入りするらしいです。東西分け目の戦に我が殿様、最上義光が徳川に付き、いざ関が原へ。豊臣方に付いていた会津藩の上杉景勝に仕えていた直江兼続がこの留守とばかりに攻め入ったために我が殿様一の砦、畑谷城の江口五兵衛光清が自ら国を守るため討ち死にするにいたったそうです。

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左の山が畑谷城

 このような歴史上に自分の故郷が少しでも関わりのある事を誇りに思っています。来年のテレビ放映が楽しみです。山形の方に旅をされる機会がありましたら、我が故郷である「曼茶羅(マンダラ)の里」にもうちょっと足を延ばしてみては、いかがでしょうか。

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