伊南則夫さん
私の故郷は青森県北津軽郡脇元字磯松(現在の青森県五所川原市磯松)という津軽三味線発祥の地で、太宰治の生まれ育った町としても有名です。ストーブ電車で長里駅まで行き、そこからバスで2〜3時間かかる山の中でした。観光の名所として芦野公園という日本さくら名所100選に選ばれた公園があり、春の見ごろには2200本の満開の桜が見られます。
実家は父が漁師で母が畑仕事をして生活をしていましたが、貧乏で食べるものもなく、ご飯に大根混ぜたりふきの茎などをよく食べました。日本海に面する地域なため漁が盛んでイカなどの漁があるときは学校を休んで漁の手伝いに出かけました。夏は七里長浜で遊びましたが、冬は雪が深く大雪が降ると電柱の上のほうまで積もってしまい電気が止まってしまうこともありました。そんな中でも学校までの3キロの道のりを歩いて登校。雪遊びはスキーが買えなかったので竹スキーやソリを自分たちで作って遊びました。
脇元小学校の全景
学校を卒業後は工場で3年間勤務。その後大工として修行を積み22歳で上京しました。当時1日の手間が650円程で家族を持って1,000円に上がりました。その金額でも物価が安かった為毎月余ってました。若いときは仕事が多く、昼食を取る暇もなく仕事をしました。
平成元年に家を建てその時に東京土建に加入しました。加入した次の月に病気になり入院。その時にお世話になって、それから役員として頑張ってきました。組織部長も15年続けてきましたが拡大とは「努力」であり「勉強」でもあると思います。今年で役員も定年ですが、これからは若い人の育成に力を注いでいきます。