花川靜雄さん
私の故郷は、茨城県高萩市の島名と言う所です。私の両親は、戦争で疎開の為、島名に帰っていました。そこで産まれたのが私です。戦争が終わり、両親は、東京で鉄工所を営んでいて、朝鮮動乱特需で相当忙しかったようです。その為、故郷の祖父母に小学校入学まで預けられていました。
当時のボタ山
高萩市という町は、昔は炭鉱の町であちこちにボタ山(石炭屑を積んだ山)があり、自然発火していました。祖父母からは、「危ないから行かないでよ」と言われていましたが、畑から掘り出した、サツマイモを埋めて置いて、小川で水浴びをしたり、ドジョウを捕まえたりと、しばらく遊んでから先ほど埋めておいたサツマイモを取りに行くと、焼き芋が出来上がっています。遊んだ後なので、お腹も空いていてとても美味しいおやつでした。ちょっと石炭臭いですが、今思うと本当に懐かしいです。成人して両親の鉄工所を手伝うようになりましたが、時代が変わり、オイルショック等で両親の鉄工所も、経営が傾いていきました。
そこで私は、平成元年にエクステリアの工事人として、働く事にしました。その頃、東京土建の健康保険10割給付の看板を見て加入しました。しばらくして、歯医者に掛かったところ、「本日は、無料です。」と言われて、本当に土建国保の良さを知りました。