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私の生きがい 大好きな絵を描き続けたい 当房 勝さん(鹿浜分会) ―第12回―

幼いときから描いていた高卒後映画看板を描く

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現創会の展覧会で「婆藪仙人像」(ばすせんにんぞう)で新人賞を受賞しました

 出身地は宮崎県で絵は幼いときから描いていました。高校では美術部に所属し卒業してすぐ鹿児島で映画の看板を描く仕事につきました。画家になりたかったけど絵では食えなかったからね。今考えるとこれが建築関係の仕事につくきっかけなったのかな。
 人物も描くが好きなのは風景画です。旅なんかに行くと気に入った風景の写真を撮っておいて、家に帰ってからキャンバスに向かいます。
 絵の勉強がしたくて東京へ25歳のときに上京、東京に来て最初に住んだのは北区十条、お金が無かったので看板屋に飛び込み、住み込みで仕事をしました。妻はその看板屋の親方の娘さんです。
 そして28歳くらいの時に、美術の専門学校に2年間かよいました。まわりに若い人しかいなかったから、恥ずかしかった。でも私は仕事である程度知っていたからまわりの若い人からよく技術的なことも含め質問されていました。

30代独立、現場では「先生」と

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ご存知の方もいるはず池袋はビックカメラの巨大看板これも当房さんの作品です。この他にも東京都、ディズニーランド、コカコーラなど、とにかくでかい看板は当房さんが手がけたとのことです。

 30歳で広告会社へ勤務しているときに友人からゼネコンの仕事をやらないかと声がかかり、独立してゼネコンのパース(完成イメージ絵)を描くようになりました。
 いろんな種類の仕事をしてきました。大きな看板、ビルの屋上に直接マークを描く仕事など、仕事柄高いビルの上で怖い思いをしながらの仕事もたくさんありました。
 現場に行くと「看板屋さん」じゃなくて「(絵の)先生」と呼ばれ特別扱いみたいにされた時もあったよね。

これからも絵を描き続けたい

 数年前に引退してからは好きな絵を描いてはいるんだけれど、集中しては描けないんだよね、なぜならご近所さんが訪ねてきたりで中断してばっかりでなかなか進まない。でもこれからも可能な限り絵は描き続けますよ。

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