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物資が次々と運ばれてくるのに被災地に届けられない・・・ 進まない復興支援に歯がゆさも

 3月11日の大震災後、4月25日から4日間の日程で、震災支援ボランティアの第1陣として、書記局の松舘さんと松村さんが岩手県大船渡市へ行ってきました。
 参加した松村書記より、被災地の状況とボランティアの活動内容を報告してもらいました。

ボランティアとして参加した松舘書記(左)と松村書記(右)
ボランティアとして参加した松舘書記(左)と松村書記(右)

 【支部書記局・松村健司】御茶ノ水の全労連会館を4月25日の月曜朝に出発したバスは、宮城県の東松島を経由し、岩手県の大船渡を目指しました。全国のさまざまな労働組合から集まった仲間30数人の内、半数が東松島を拠点に石巻の復興支援を手伝い、私たちは大船渡で復興支援のボランティアを行いました。夜7時半過ぎに岩手県の大船渡の民宿に到着し、その日は夕食をかき込み、風呂に入っただけで就寝となりました。
 ボランティア当日は、朝食後にみんなでラジオ体操を行い、マイクロバスで「大船渡ボランティアセンター」へ向かいます。まずは受付を行い、その後、市の社会福祉協議会の担当者が作業の場所や内容を割り振ります。その指示に従い私たちは動きます。
 作業内容は大きく分けて三通り、一つは浸水した家屋の清掃等、一つは道路の脇に寄せられたヘドロの土嚢積み、もう一つは支援物資の仕分けです。私は1日目、3日目に土嚢積みをしましたが、普段慣れない力仕事であるため筋肉痛に悩まされました。また、支援物資の仕分けは小学校の体育館で行いました。私たちがボランティアに入っていた期間中、支援物資は届けられることのほうが多く、出て行く事の方が少なかったようです。
 役所の職員も被災しており、行政の機能も一部マヒしています。公平性の確保や、物資をとどけるための車両のガソリンが足りないなど問題が山積しています。大量の支援物資がありながら思い通りにならない、はがゆさを感じました。
 限られた時間の中での支援の手伝いでしたが、微力ながらも役に立てたのかなとの思いはあります。ただ海沿いの街中は震災から1ヶ月過ぎているにもかかわらず、津波の直後かと見紛うほど復興は進んでいませんでした。瓦礫が街をおおったままです。行政が一定支援を進めて、やっとボランティアの出番が来るといえます。復興にはこれからも相当な時間がかかるはずです。今後も長期間にわたっての支援を続けられればと思っています。

大船渡市内の状況 作業中のボランティアのみなさん
大船渡市内の状況 作業中のボランティアのみなさん

救援募金5百万超える

 「集めよう みんなの心 繋ごうみんなの心」を合言葉に1人千円をめどにお願いした組合での震災救援募金は、5月末時点で約5百11万円を超えました。
 募金袋に記入されたメッセージの一部を紹介します。◎夫婦とも東北出身です。笑顔を忘れず一歩ずつ進んでください。ずーと応援します。(西伊興)、◎私の親戚も青森県八戸市で災害にあいました。自宅、車などを失いました。みんなで協力しましょう。(新中川)、◎みんなで力を合わせて希望を持って前向きに。(柳原)、◎俺も青森の東北人。必ずけっぱれば大丈夫。(平野)、◎苦しみから立ち直って心が救われることを祈っています。(中梅)、◎東北のみなさん。ケッパレ、ケッパレ。(六木)、 ◎弟が福島にいるので色々と情報が入ります。一日も早い復興を。(椿谷在家)、◎一人の力じゃ何も出来ない無力にはがゆさを感じています。組合を通じて少しでも力になればと祈っています。(花畑)、◎未来に向かって。被災地の野菜買っています。(江扇)、 ◎十年かかったびん募金です。(鹿浜)

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