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宮城・南三陸町へ架設住宅建設へ 普通に生活できることの有り難さを痛切に感じる

金子さん
金子さん

 【支部常任・ ガス配管工・金子大介】5月後半より約半月の間、宮城県の南三陸町で、復興仮設住宅建設工事に携って来ました。元請会社より、仮設住宅のガス配管工事を頼まれ、原発問題等で心配が有りましたが「自分の技術が被災された方の役に立つならば良いかな」との思いで依頼を受けました。
 テレビや新聞で見る被災地と現実はかけ離れており、現実の世界とは思えない、まるで映画のセットの中に入り込んだかの様な感覚でした。建設工事を進めている近くでも自衛隊と警察が棒で行方不明者を捜索していました。
 波を被った土壌は気温の上昇と共に悪臭がたちこめ、ハエが多く、真夏に向けて対策が必要になるところです。道路は凸凹で亀裂だらけ。途中、台風の影響で自衛隊が作った仮橋が崩壊したり、道路が冠水したりと、作業をさえぎる事態が多く、結果、工事は6月にずれ込み完成検査となりました。

仮設住宅現場にて作業する金子さん
仮設住宅現場にて作業する金子さん

 携わった仮設住宅は、基礎が木杭なだけで、上物は2×4の木造住宅で、想像していた現場事務所的な住宅とは違い、立派な住宅でした。しかし、上水道が繋がるのは早くて2年後。それまでは、自衛隊が給水タンクに水を運んで、ポンプで各家庭に送るシステムです。
全く知らない職人さんと同じ部屋で寝泊まりすることで、精神的に参ってしまい、正直限界でした。避難所で生活されている方の気持ちが良くわかりました。
そんな中、南三陸町で家も車も想い出も流されてしまった先輩に現地で会う事が出来ました。私に仕事を教えてくれた先輩で、今は南三陸町にある実家の土建会社を継ぐ為に帰っていました。先輩に逆に励まされ、任務を完了して帰って来ました。
帰ってきて感じた事は、家庭が有る・家が有る・仕事が有る、そんな当たり前の事がとても嬉しかったです。2期・3期工事も有るのですが、残りは地元の業者で出来るとの事でバトンを渡してきました。完全復興が100%とするならば、まだ1%も復興されていない状況です。一日も早い復興を心よりお祈りいたします。

 

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