トピックス

TOPに戻る

2011夏 平和取材 戦争の裏舞台で暗躍した 登戸研究所 (第九陸軍技術研究所)

侵略戦争の大罪を今に伝える資料館

写真
中島優次教宣部長
写真
資料館内にある風船爆弾の模型

 7月27日、平和取材として明治大学内にある「登戸研究所資料館」(正式名称:第九陸軍技術研究所)に行ってきました。ここは戦争には必ず必要であった「秘密戦」(防諜・諜報・謀略・宣伝)ということを主に研究していました。
 現在は資料館として平和教育のために使われており、この研究所のことを明治大学講師の渡辺憲二さんから聞いてきました。
 研究所は、軍の中でもごく一部の人しか知らなかったらしく、その一部の人とは、陸軍参謀本部と関係局部、天皇ならびに皇族だけだったとのこと。相当に重要な所だったことがうかがえます。
 この研究所がした仕事のひとつとして、1937年にシナ事変を起こす2年前に中国は紙幣を米英の支援で確立したばかりで、そうした経済体制の弱さをつかんで、香港にあった印刷工場から原版を接収、研究所で偽札を製造し、総額45億元製造し、35億元使用したそうです。また、風船爆弾なる物も登戸研究所で発明され、気象や高度維持風船の素材で和紙をこんにゃく糊で貼り合わせ直径10メートルの風船に細菌兵器をアメリカ本土に届く物を開発していましたが、実際には焼夷弾をつけ9千3百発打を打ち上げ、約1千発位がアメリカに届いたらしい。
 陸軍省は1945年8月15日早朝に、証拠隠滅命令を発し、研究所が大学内に高さ3メートルの大きな動物慰霊碑を作ったのですが、本当は動物実験だけではなく他の何かも実験したのではということを想像してしました。

写真
製造された「偽札」
資料館の所在地は神奈川県川崎市多摩区東三田1-1-1明治大学生田キャンパス内です

 戦後すぐに米軍の調査と資料提供を求める動きがおこり、登戸研究所や731部隊関係者は情報提供と引きかえに戦犯免責となり、研究所の関係者は全て公職に復帰、一部の関係者は米軍の要員になったそうです。

国家権力の「嘘」を見抜く必要が

 取材後、私はこの戦争で犠牲になるのは民衆で、国家権力者はほとんど免責された。国民は注意して国家の「嘘」を見抜かねばならいことを強く思いました。

東京土建国保の手引き カレンダー