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長崎の平和公園で式典前の会場にて、今回足立支部からは3人が代表として参加しました |
広島・長崎への原爆投下から66年が経った2011年夏、8月7日から9日の3日間、長崎で開催された原水爆禁止世界大会に足立支部からは3人が代表で参加しました。全員が初めての参加となり、おのおのが長崎で体験し、感じたことを報告してもらいました。
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原爆中心碑に奉納されていた千羽鶴 |
他人事だったが命の重みを考えさせられた大会への参加
私は、九州へは今まで一度も訪れる機会がありませんでした。
仕事の忙しさもあり、遠出の旅行も行く機会がないのが現状でした。
今回、土建組合の方から、原水爆禁止の大会に参加させていただく事になり、少々責任の重さもありましたが、引き受けさせて頂くことにしました。
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爆心地公園内の浦上天主堂跡地 |
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伊嶋 進さん
常任執行委員
花保分会 |
正直申し上げますと、自分の中で原水爆のことはあまり興味も無く、他人事のようなところがありましたが、参加して本当に驚きました。参加されている皆さんが熱心に取組む姿に感動しました。
確かに、今の日本の現状はあまりにもひどい状態です。便利さに慣れ、自然を破壊し地球を壊すことしか考えていなかったということです。過ぎ去ったことは人間誰でも忘れがちになりますが、そこには大切な人間の命が奪われている現状を、今生きている私たちが考えなければいけないということです。
限りある地球上に暮らしている人間である以上、いつかは地球から罰が与えられるという事でしょう。それが今回の福島の原発事故による放射能問題です。
全国民、いいえ全世界が注目していることでそれ以上に恐ろしい事はないのです。目に見えない恐ろしさ、まさにこれが原水爆です。
今まで原水爆禁止の運動に取組んでいた方々には、深く頭の下がる思いでいっぱいになりました。今後、自分にも少しはお役に立てるような事があれば、微力ではありますがこの運動に参加し進んでやらせて頂きたいと思っています。
原爆を作った科学者は人殺しです。
同じ核を使う原発への不安1日も早く笑顔で暮らしたい
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関 香織さん
青年部副部長
青井足立分会 |
原爆がいつ落とされたかも、いくつ落とされたかも、どのくらいの被害を出したのかも分からなかった。
そんな私が現地で自然と学んでいたような気がします。
地上500mで爆発したのに、こんなに大きな被害を出し、大事な命が失われたこと。
『ケガ』や『やけど』だけで苦しんだわけではなかったこと。今現在も多くの方が被爆の苦しみと闘っていること。1945年の長崎・広島の原爆で被爆したのは、日本人だけではないこと。
実際、何も知らない、 興味を持っていたわけではない私でしたが、本当に良い機会を与えていただいたと感謝しています。そんな私の心に残っているのは『命の強さ』です。
人の命もそうですが、植物の生命の強さを山王神社の『くすの木』で感じました。
ここにある2本のクスノキは、原爆中心地から約900mの位置にあり、強烈な爆風と熱線により枝葉が吹き飛び、幹は途中から折れて黒焦げとなり無残な姿になったのに、66年たった今でも境内入口にどっしりと構えているのです。この木の中には、爆風で飛んできた石もありました。そして、全体の半分くらいはやけど等で回復することが出来ず、樹脂で治療してあるのです。
それでもがんばって、このクスノキは66年間治療をしてもらいながら長崎の平和を見守ってきたのです。
きっと『HIBAKU』された方の心の支えになってきたのだと思います。自然の力はすばらしいと感じました。
いつまでも、原子力エネルギーに執着するのではなく、自然の力の強さに気がついてほしいです。そして1日も早く笑顔で暮らせる日本を・・・取り戻してほしい。
人の命は『モノじゃない』
命を無駄にしてはいけない
『私たちは、微力だけど無力じゃないんだから、無駄な命はない』
そう、気づかされました。
3日間の体験を今後の組合活動に活かしたい
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世界大会最終日・全体会の様子 |
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松村健司さん
書記局 |
初参加の私にとって、この世界大会は見るもの聞くもの全てが新鮮に感じられました。
初日の開会総会は全国からの参加人数の多さと、その熱気に圧倒されました。被爆者からの訴えがあり、当時の被爆の体験やいわれのない差別、現在の活動や原発に対しての考えなど様々な思いを聞きました。
藩基文(パンギムン)国連事務総長からのメッセージも読み上げられました。「みなさんが集めた一筆一筆の署名や集会でのひとつひとつの発言や集会そのものが核軍縮につながる」非常に心強い言葉です。また、足立代表団のうちの一人でもある新婦人の山中さんから、核廃絶署名に取組んだ報告があり、刺激を受けました。同時に「7千人以上の参加者を前に、こんなすばらしい発言ができてしまう山中さんは何者なのだろうか」との疑問もわいてきました。
2日目は「憲法9条を守り、非核・平和の日本を」の分科会に参加しました。パネリストの大久保弁護士は「核兵器としての原子力は戦争のため」「原発としての原子力は平和利用のため」の刷り込みが、世間一般には浸透していると主張。
さらに以下の三点から原発と人類は共存できないときっぱりと述べました。◇原発避難民の発生 ◇放射能による環境汚染 ◇新たな被爆者の発生、この三点は原発がある限り必ず起こりうり、そして絶対にあってはならないことであると、非常に明快で判りやすい話でした。また各地域の「9条の会」からのさまざまな活動報告も行われました。
分科会の後に訪れた原爆資料館では、原爆の恐ろしさ悲惨さを目の当たりにさせられました。ただ、これは人から聞いて伝わるものではなく、機会があれば広島や長崎に足を運び自身の目でみて感じて欲しいと思います。
中高生が修学旅行などで訪れる機会も年々減っているとも聞き、平和教育の大切さも同時に感じました。
最終日の閉会総会では歌手のKUМIKOさんのステージがあり、歌の上手さはもちろん、軽妙なトークにも引き込まれました。
広島の原爆犠牲者の少女を唄った曲の秘話や、石巻で3・11東日本震災に被災した話もあり、聞き入ってしまいました。
そしてすばらしい唄声を聞けたのは幸運でした。都道府県ごとの代表団からの決意表明があり、元気付けられるとともに私たちのこれからの行動を問われているのだと感じました。
今回の3日間で得た体験をさまざまな形で組合活動に生かし、未来のために平和を守っていく思いを強くしました。