東日本大震災から一年一ヶ月が過ぎた4月16日17日の二日間、足立支部では、自費で参加者を募り、被災地視察団を結成し、震災で甚大な被害を受けた岩手県沿岸部の宮古市から一関にかけて視察を行いました。17人の仲間が参加。現地では岩手県連と宮古建設組合が対応してくれました。
組合旗を振って出迎えてくれた宮古の仲間たち
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新田さん |
【千住分会塗装新田忠明】上野駅を早朝に出発し盛岡からバスで移動し宮古市についたのは丁度午後1時でした。宮古駅には全建総連岩手県連の斉藤組合長、宮古建設組合の鈴木組合長、元足立支部組合員の小成稔さんが出迎えてくれました。
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津波で破壊されたビルの壁には「解体おねがいします」の文字が |
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宮古建設組合鈴木会長(中央)と岩手県連斉藤会長(右端)から説明を受ける足立支部被災視察団のみなさん |
早速、世界最大と言われた田老町の防波堤(高さ10m)へ。ここでも田老町への国道沿いで組合旗をもった田老在住の組合員が元気に旗を振って待っていました。ジーンときました。
第一堤防を破壊させ10mの高さを乗り越えてきた津波の凄さにただただ驚くだけでした。同じ全建総連・宮古建設組合の仲間が消防団活動のなかで黒い渦に巻き込まれ奇跡的に助かった話には言葉を失いました。そのあとは宮古市役所で復興推進室にて滝沢室長(課長)から詳しい話を伺いました。
二日目は宮古市から陸前高田市まで南下しました。町長をも亡くした大槌町役場の時計は止まったきりで、玄関には今でも御花や飲み物が捧げられていました。1階から4階にかけて津波の被害にあった建物の多くは「解体お願いします」とスプレーで書かれていました。
大船渡市はかなりの広さで津波に流され鉄道は寸断され、狭い湾の向こう側では一部瓦礫の始末をしているようでした。市内の復興屋台村で昼食。食堂のおやじさんの話では、屋台村は地権者から借り受け、それらを統括する組織を経て改めて借り受ける事ができるそうで、勿論内装は自費だそうです。
国は早く復興の流れを示すべき
簡単に復興といってもローンが残っている状態。それらに加え瓦礫の始末が3年から4年と見込んでいるそうですが、高台へ移るのかどうなのか、其の費用はどうなのか、自治体がやり切れる限度はそれらを上回るわけで、国が大きな復興の流れを示し、被災者の方々が先の見えない不安な現状を大きく改め、特に予算計上についても一年を過ぎた今となっては遅すぎると思います。
首都圏直下型地震が現実のものとして予想される今、足立支部として地域との連係を模索する事は緊急の課題だと思います。
私は被災地を忘れません。