トピックス

TOPに戻る

小さな支援だが継続を
青年部が復興支援に参加

写真 9月14日(金)仕事後、家に帰ってお風呂に入る暇もなく出発した、本部主催の弾丸ツアー『復興支援in石巻』に足立支部より4人参加してきました。
 今回、私たちは初めて復興支援に参加したのですが、1年半たった今でも1階が津波で破壊されてしまった家や瓦礫が入ったままの家、本当に涙が流れてくるような風景でした。
 1日目は『鹿妻東公園』にて宮城災対連・東日本大震災共同支援センター主催の『炊き出し&なんでも相談会』にかき氷・ポップコーン・コッパ工作・タイル細工を持ち込み参加してきました。当日は、とても暑くそんな中でも各ブースには長蛇の列ができていました。
 そんな中で、印象に残っているのは、支援物資に並ぶ住民の姿や子供の姿です。
 工作の会場には、子供たちが興味を持って遊びに来てくれた子供のお話ですが・・・
私達『家帰ったら、お母さんに見せてあげてね』
友達『こいつ、お母さんいないから』
私達『お父さんに見せてあげてね』
友達『こいつ、お父さんいないから』
子 『うるせ』
安易にいってしまった自分たちの発言にきっとその子供たちを傷つけてしまったのだろうなぁ・・・たくさんの子供たちが親を亡くしてしまっている現実を目の当たりにした気がします。なんて、文章にして良いのか・・・それが本音です。
 たくさんの方に物資を届けたくても、時間が限られているし、支援物資も底をついてしまう状況で現地の方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも、多くの方から笑顔で『ありがとね』の感謝の言葉をかけて頂きました。
 2日目は、宿泊でもお世話になった『仮設開成団地』にてミニ住宅デーです。
 本部青年部長のお母様が数日前からビラまきをしてくれたので当日は、早朝から私たちの寝泊りしている集会場にはたくさんの方が集まってくれました。ここでは、希望者のお宅にお伺いして棚を設置してきました。しかし、支援を求めている方、全員のお宅には取り付けをしてくることは到底できませんでした。その要因には、時間と仲間の不足がありました。自分たちにできる事しかできないのはわかっています。しかし、少しぐらい無理をしてもやらなければいけないのだと言葉にしなくても仲間全員が感じていました。
 仮設住宅の住民の方からは、本当に多くの生のお話を聞いてきました。
 泣きながら当時の状況を話してくれた住民の話を聞いた仲間もいます。
 目の前で津波にのみこまれていく姿を見ながら必死に逃げた方、幼い子を自宅に置いて通院の為、病院にいて被災した方、色々な状況の中で被災した方から、当時の状況を教えていただきました。
 3日目、私たちは個人的にですが陸前高田市〜気仙沼〜女川〜石巻の被災地を周ってきました。どこも、本当に復興にはほど遠い状況です。その中でも、一本松で有名な陸前高田市は今も言葉にできない位、ひどい状況です。金属が軋む音は、言葉は悪いかもしれませんが本当に不気味でした。眠くても眠れない程、何かを感じたような気がします。
  確かに、電柱は復旧し、道路には瓦礫はありませんが、瓦礫の山が街を囲んでいるようでした。残った建物には、本当に捜索活動が行なわれたのかと思うくらいの瓦礫があり、壊れたランドセル・名前の付いた鍵盤ハーモニカや壊れてしまった命を守るはずのADHD、『捜索終了』の張り紙のついた陸前高田市役所には、祭壇と多くの千羽鶴が掲げられていて本当に物々しい雰囲気で手を合わすことしかできませんでした。
 津波と核兵器は全く違いますが陸前高田の街と『原爆の被害を受けた広島や長崎の街』が重なってしまいました。
 私たちには、本当に小さな支援しかできませんが継続していかなければいけないと今回の旅で感じました。これからも形はこだわらず、多くの仲間と復興の輪を広めていきたいと思います。
【青年部 関 香織  山田 時久】

 

東京土建国保の手引き カレンダー