足立区からは毎年老若男女問わない大勢で原水禁世界大会に参加/職種も様々ですが垣根を越え共に平和を学ぶ
人類はいいかげん気づこう
【村上勇・支部副委員長】本年8月4・5・6日と、原水爆禁止世界大会に足立支部を代表して4人で広島まで行かせて頂きました。
45年位前、確かまだ小学生の頃、両親が広島県尾道市因島出身なこともあり、夏休みに原爆ドームを見学したことがあります。その際に広島平和記念資料館にて「一瞬にして都市が消滅した事実」を知り「放射能と熱による火傷ケロイド」「溶けてくっ付いているガラス瓶」を実際に見ました。小学生の私には衝撃が走り核兵器の悲惨さに「こんな爆弾を落とすアメリカは何てひどい奴らだ!絶対戦争はしてはいけない」と強く思いました。
戦後73年が過ぎた今でも、世界の至る所で紛争が起こっている現状です。武力による解決・核による抑止力は、決してなしえない事を、いいかげん人間は気づかないといけないと強く思いました。
世界は「目には目を、歯には歯を」が主流かも知れませんが、戦争で負けを経験し広島・長崎・第五福竜丸・福島と多くの悲劇を経験した日本だからこそ「もう戦争はしない!核を落とされても反撃しない」と言える。 抑止力にならない武器なんて要らない、イージスアショアも要らない。そんな物にお金を使うくらいなら、CO2削減に使ってほしいと思います。「これから戦う相手は、環境問題だ!」と世界に訴えられるのは日本だけです。
いい加減アメリカの言いなりはやめてほしい。今後人類の中心は「人類の至福と世界平和を目指す世の中」になってほしいと思いました。広島の世界大会へと参加する貴重な体験をさせて頂き、ありがとうございました。
焼けた服/平和記念館展示
戦争の怖さ目をそらさず胸に刻む
【小島節子・入谷舎人】原水爆禁止広島世界大会に参加する機会をいただきありがとうございます。世界大会の会場には23カ国から98人が来日。国内からも地球平和を願い5,000人もの方々が集まり、感動しました。
以前にも原爆や核兵器など戦争体験を聞く機会はありましたが、聞く事がつらくなり少々目をそらしてきました。しかし今回の広島での被爆体験談では、世界平和への願いと被爆者への思いに目を向け、しっかりと胸に刻みつけてきました。
原爆ドームや平和記念資料館の見学では「73年前アメリカに投下された原子爆弾により広島・長崎の多くの人々の命を一瞬にして奪い取り、助かった人々にもつらい後遺症を残したという事実」を、展示された資料から見て学びました。縮んだ瓶の塊、焼けただれた人体の写真、8月6日8時15分で止まった腕時計、これらは戦争の怖さを静かに語り、二度と原爆を使ってはいけないのだと痛感しました。
分科会では岩国基地へと行きました。基地周辺の住民は戦闘機の爆音に大変な思いをしている事、ガード下を走る電車の騒音以上の爆音に子供が泣き出す事、それが原因で頭痛に悩まされ心身ともに健康を害してしまう事を知りました。また岩国基地は米兵の家族住宅、兵舎、弾薬庫、学校、消防署、スーパー、病院、格納庫の建設に、ここ10年間で思いやり予算という日本の税金5,500億円を使いました。また自衛隊や基地で働く人1,500人に2,600億円の税金を使い、合わせて8,000億円もの我々の税金を使っています。この多額な予算には憤りを感じるばかりです。
最終日には平和記念式典に参加をし、式典の様子を見ました。広島市長の式辞や「核兵器禁止条約の発効に向けて署名国を順次批准し終わらせるなど、核保有国をはじめ各国のリーダーは実効性を高める行動に舵をきるよう求めます」との言葉がありました。8時15分、犠牲になられた御霊に対し黙祷。世界唯一の被爆国の批准は示されていません。政府に腹立ちを感じながら、私たち国民がこれからも核廃絶の活動を続けていこうと誓いました。
岩国基地の戦闘機/爆音が健康を蝕む
平和への誓い伝える事はできるはず
【増田翔・支部書記】現在の広島は多くの自然や人や施設で溢れ、とても賑やかで明るい街です。平和を宣言する街として、国内だけでなく海外からも注目を集めています。かつて原子爆弾が投下された場所とはとても想像できません。それが広島に来て感じた第一印象でした。
総会では世界各国から多くの関係者が集まり、それぞれの言葉で「戦争、核兵器を断ち切る勇気を持ち、行動するという趣旨」の発言がなされました。日本の平和に対する活動が、世界で注目されている姿を実際に見て驚きました。 会場内は開会式、閉会式とも5,000人以上の参加者で埋め尽くされ、想像の遥か上の規模と熱気で圧倒されました。
分科会では「岩国基地調査行動」に参加。73年経った今も尚、戦争の余波により苦しむ方々、騒音等で苦しみながら生活する方々がいるという現実を知り、戦争に終わりは無いのだと感じました。
8月6日(月)には平和記念式典の会場に初めて行きました。とても大きな会場に多くの人々がおり、関心の高さが伺えました。亡くなった14万人もの方々、そのご遺族、関係者に対し、戦争を、原爆投下を過去のものにしてはいけない、風化させてはいけないと、平和への誓いを新たにしました。またこれからの未来を担うこども代表の、健気で真っ直ぐな熱い誓いに心打たれました。
私たちは現在の平穏な生活を当たり前に送っています。しかしそれは先人の弛まぬ努力の上に成り立っているものです。その平和を守り続け、次の世代へ繋いでいく私たちにはその義務と責任があり、それを自分たちの世代で断つことは許されません。
実際に戦争体験の無い私たちができることは「伝える」ことだと思います。今回の世界大会に参加し、核兵器と戦争の悲しさ、惨めさ、無意味さ、酷さを、目で、心で感じたことを自分なりの行動と言葉で伝える。それを次の世代、また次の世代へと語り継いでいく。今日ある広島のあの美しい風景も、去年採択された核兵器禁止条約も、そうした人々の永年の願いや行動が形となった結果なのだと思います。それを一人ひとりが考え、自分なりの行動で発信できれば世界は平和でいられると思いました。
広島原水禁に参加させていただきありがとうございました。
世界大会/全国から学生が参加し平和を訴える
子ども達に平和な世を残したい
【水越怜平・青年部長】8月の4・5・6日の3日間に渡り広島原水爆禁止世界大会に参加してきました。貴重な経験をさせていただきありがとうございました。
この時期、広島には世界中から人種や年齢を問わない「平和を願う多くの人々」が集まっています。広島に着いてその人の多さに圧倒されました。
原爆ドームをはじめて直に見ましたが、平和が当たり前の世界で生きてきた私には理解が追いつきませんでした。「いったい何なんだこれは。何があったら建物がこんな状態になるのだろう」と呆然としてしまいました。
広島平和記念資料館見学では被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を見ました。見ているだけで胸が苦しくなるものばかりで、今見ているものが、自分が立っているこの場所で起きたことだとは、にわかに信じられませんでした。
当時、実際に戦争を経験し、覚えている方は若くとも80代かと思います。若い我々が戦争の怖さ、核兵器の悲惨さを学び、後世に伝えていく語り部とならなければいけないと強く思いました。
また、私には2人の小さな子供がいますが、今の平和な世界をなんとしても引き継ぎたい。子供達が成人した時、平和な世の中を当たり前と思って生きられるようにしたいと感じました。家族を連れて一度は広島に行きたいと考えています。
全国から千羽鶴が持ち寄られ納めて平和を祈念