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福島県南相馬市被災地支援ボランティア
〜7年経つも深く残る原発事故の悲惨な傷跡〜

参加した組合員/上段左から野尻さん、川島さん、齊藤さん、山田さん 下段左から松井さん、植田さん、村山さん
参加した組合員/上段左から野尻さん、川島さん、齊藤さん、山田さん
下段左から松井さん、植田さん、村山さん

 11月10〜11日(土・日)東日本大震災から7年が経った福島県南相馬市へ足立支部の組合員8人でボランティア活動に行きました。
 1日目は被災地の復興を視察する目的で、浪江町から南相馬市を通り、相馬市にある伝承鎮魂記念館を訪問しました。
 南相馬市の国道沿いには、除染作業で発生した幾つものトンバックが田畑であった土地に乱立し、放射能による事故から復興するには相当な月日を要することをまざまざと突きつけられました。
 2日目は復興ボランティアセンターに向かい、センター長より「震災から7年。少しずつボランティア数が減っているが、市民からの助けを求める声は毎日くる。こういう状況のなか、遠い所からよく来て頂けた」と温かい感謝の言葉がありました。
 私たちに課せられた活動内容は左記の通りで、作業場所は浪江町。放射線量は足立支部駐車場で測定した線量とほぼ変わらない中での作業でした。
 浪江町は昨年3月31日に避難指示区域から解除されましたが、町並みは震災当時のままです。町を行き交う市民はほとんど見られず、放射線の影響から帰還する市民はほとんど居ないのが現状です。センター長は「浪江町の帰還率は2%。住み慣れた住居は少しづつ解体され、歯抜き状態の町並みに変わってしまっている。でも、助けを求める市民がいる限り、私たちは被災者に手を差し伸べ続ける」と現状のもどかしさを憂いていました。

今回の作業内容

 地元住民より現地のボランティアセンターに依頼が集まり、ボランティアの人達に仕事が振り分けられる。支部の仲間達には「庭木の伐採・竹刈り・草刈り・被災家具の搬出作業」を依頼された。ボランティアセンターへと届く依頼の数は今も絶えない。

写真 写真
写真 写真

被爆した物は今もそのまま

コインランドリーの洗濯物
コインランドリーの洗濯物
解体家屋
解体家屋
栄養ドリンク
栄養ドリンク

汚染トンバック未だ放置

被爆した土を詰め込んだたトンバックを大量放置/一時保管と言うが、いつまでを指すのだろう
被爆した土を詰め込んだたトンバックを大量放置/一時保管と言うが、いつまでを指すのだろう

 東京電力福島第一原発事故後、原発の運転期間は原則40年に制限された。しかし原子力規制委員会は11月7日、運転期限が迫る東海第二原発(茨城県)について20年の運転延長を認めた。
 今回ボランティア参加で見た原発被害の状況を見ても、依然として事態が収束していない事は明らかである。
 そんな中での原発再稼動の動き。我々国民は改めて原発が必要かどうか考えなければいけないのではないだろうか。

支援ボランティアに参加して

村山博司・さくら
村山博司・さくら

 福島の復興支援に行くのは今回で五回目になるかと思います。
 今回は元避難地域であった浪江町に入りました。被災から7年が経つ今でもバリケードが立ち並び、中に立ち入る事は出来ません。いかに大きな被災だったのかを考えると、怖くなります。
 ボランティアをしていると途中住民の方々が感謝の言葉と共にお茶やお茶菓子の差し入れをして下さり、ボランティアの必要性を感じると共に、家に帰りたくても帰れない方々の気持ちを思い胸が苦しくなりました。

山田弘治・入谷人舎
山田弘治・入谷人舎

 私は4年前にこの地を訪れ、復興がどの位進んでいるのかを見たくてこのボランティアに参加しました。
 一軒目の作業は取壊し家屋にある庭木と雑草の撤去、二軒目は笹竹と雑草の撤去で、どちらも初めて使うチェンソーと草刈機が必要で、注意をしながら作業を行い予定通り任務を果たしました。
 今回避難指示が解除された地域での作業でしたが、住める家が空家のまま放置され、津波被害の他に原発被害が無ければ復興ももっと加速するのにと憤りを感じました。

植田裕太・入谷舎人
植田裕太・入谷舎人

 福島には支部の視察で二度訪れています。以前と比べると堤防や施設が増えていて、少しずつ復興が進んでいる印象を受けました。
 ですが帰宅困難地域には震災当時のままの建物が残り、まだまだ厳しい状況でした。ボランティア活動で訪れた浪江町でも人は住んでおらず、周辺の商店も営業していません。この現状では住民が戻って来られないだろうなと思いました。
 震災から7年が経ちましたが、元の町並みが戻るのはまだまだ先である事を感じました。被災地の現状を目の当たりにして「原発関連の問題が復興を遅らせているのだろう」と改めて感じました。
 今回の活動で感じたものを伝えていき、少しでも被災地に目を向けてもらえるよう、努めていこうと思わせられる活動でした。

齊藤彰一・入谷舎人
齊藤彰一・入谷舎人

 今回ボランティアで向かった浪江町は町の一部が17年3月に避難指示が解除されたにも関わらず、人影は無く出会うのは大型ダンプと工事関係者のみ。建物には解体予定との紙が貼られ、傾き崩れかけたものが多く、走る車から分かる程に家具等が散乱している有様でした。震災から7年が経つのにこの状況なのかと驚愕しました。
 津波や原発のメルトダウン、放射能汚染の恐ろしさを見せ付けられた気がします。
 避難解除されていない地域が一日も早く解除され浪江町の皆様が戻れる事を願います。
 貴重な経験をさせていただき有り難うございました。

野尻悠介・入谷舎人
野尻悠介・入谷舎人

 ボランティア前日は浪江町を中心に復興状況を見学しましたが、人の気配は多少あるもののほとんどの家が空き家又は廃墟と化していました。
 多くの家に解体家屋と表記されたシールが貼ってあり、街中なのに静けさだけが妙に印象に残りました。
 ボランティアはその見学した浪江町にある一軒家の草木の伐採です。チェーンソーの音がけたたましく鳴り響くも周りは空き家。なんともむなしい情景でした。「この先この町に活気は戻るのか…」と改め震災の恐ろしさと原発事故の悲惨さを垣間見た活動となりました。

川島俊一・本木
川島俊一・本木

 これまで参加しなかったのは、あまり機会がなかったこともありますが「大工道具以外の機器になじみのない自分が行って役に立つのだろうか」との思いがあったからです。
 しかしながらボランティアセンターに貼られた「できる人が、できる時に、できる事をする」との言葉を見た事、またセンター長の「今は平日だと2〜3人、休日でも30人程度が来るだけ」との言葉を聞いて、自分でも力になれる事を知ると共に「少しの頑張りで困っている人を助けることができるのであればやるべき」と考えられるようになりました。
 それに加えて、作業をした浪江町で感じたのは、原発の持つ大きな危険性です。今なお南相馬市と六か町村に渡る地域が帰宅困難区域とされ、避難指示が解除された浪江町の一部地域でも震災時には建ってからそれ程経っていなかったと思われる家々に「解体予定」の札が貼られ、雑草が生い茂る姿を見て、原発事故被害の甚大さを実感しました。
 参加して本当に良かったと思います。

 
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