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3・1ビキニデー開催
水爆実験から65年となる節目の年

足立区共闘団体の方々と共に静岡へ/左後ろから:増田さん:石井さん:伊嶋さん
足立区共闘団体の方々と共に静岡へ/左後ろから:増田さん:石井さん:伊嶋さん

3・1ビキニデーとは
 1954年3月1日、アメリカは太平洋ビキニ環礁にて広島型原爆の約千倍の威力をもつ水爆実験をおこないました。
 そんな中、焼津のマグロ漁船「第五福龍丸」も被爆し、無線長の久保山愛吉さんは「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」と言い残し、亡くなりました。
 3・1ビキニデーは、久保山さんの遺志を継ぎ、静岡県に人々が集い「核兵器廃絶を訴える」伝統ある行事です。
 今年は2月28日〜3月1日(木・金)支部から3人を代表派遣しました。

【伊嶋進・花保分会】
 今年はアメリカがビキニ環礁で行った水爆実験による被災が起きてから、65年となる節目の年です。日本原水協全国集会にて「原水爆の被害を二度と繰り返すな!核実験禁止!原水爆禁止!の声を挙げよう」と確認をしました。
 分科会は第七分科会「ビキニ事件から学び、核兵器禁止のために行動しよう」に参加し、当時の悲惨な状況について学びました。
 私はビキニデーに昨年と今年の二度、参加させていただきました。今年の分科会に参加して驚いたことは、若い人たちの参加が非常に多かったことです。質問や発言をするのも若者が中心で、若い方の中でも平和への意識が高まってきているのだと思います。
 この大会に参加して思ったことは、日本の平和を一番に考え実践してきた人は今上(平成)天皇ではないだろうかということです。憲法を守り常に平和を願い行動されてきたことを思うと、私たちも力を合わせて核兵器のない世界、そして平和を守っていかなければならないと思います。

【石井路代・西伊興分会】
 あいにくの雨の中、私たちは静岡へと向かいました。
 1日目、私たちは「ビキニ事件と原水爆禁止運動」という分科会に参加。若い方が多いことに驚きました。
 以前から第五福竜丸のことは知っていましたが、当時のことや被害を聞くととても恐ろしく、涙が出ました。
 全土に降った雨からも大量の放射能が検出され、農作物も汚染。農業国であった日本は被害甚大だったそうです。それなのに国はアメリカの責任を免罪としました。
 また、ウイグル自治区では32年の間に50回近くもの水爆実験が行われました。放射能が土を介し風に乗って遠方まで被害拡大。中国当局は「核実験での害は無い」と言っているそうですが、どこの大国も嘘つきですね。
 2日目、久保山さんの墓前行進をした後、ビキニ国賠訴訟を行っている梶原弁護士のお話を聞きました。時折高知弁となり、聞き取れない部分もありましたが、参加者の気持ち一つ。団結しました。
 我々が声を挙げて真実を伝えていかなければ核兵器は子々孫々まで続き、人類滅亡へと向かってしまいます。皆さん、核兵器廃絶のため共に行動しましょう。核兵器禁止条約に署名・批准を行う様、声を挙げましょう。65年前のビキニ署名の時の様に。

【増田翔・書記局】
 久保山氏が眠る弘徳院までの墓参行動を1,000人以上の集団で行い、改めて平和への想いを強く感じました。久保山氏が遺した想いを私たちは引き継ぎ、後世に伝えていかねばなりません。
 核兵器のない平和な世界の実現を訴え取り組む姿勢は、誠に意義深いものです。
 政府も正々堂々と核兵器禁止条約に参加し、他国へも参加の呼びかけを行うべきです。それが久保山氏の願いであると思います。同氏の墓前に集う者はこのことを肝に銘じる必要があります。
 65年も前にこの様な悲惨な事実があったことを私たちはもっとよく知り、感じ、伝えていく義務があります。そしてこの経験が、今後組合活動を行う上での重要な指針になり、生きてくるのだと、思います。

 
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