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8・9月は平和について考えよう
核の怖さ・戦争の愚かさ
過去から未来へ!

なぜ日本は平和でいられる?今一度考えてみよう
 現在、私たちを取り巻く環境は諸外国と比較し、戦争も内戦もなく平和な社会生活を送る事ができています。それは戦後74年間、国民が中心となって平和運動に取り組み、日本国憲法のもと戦争に加担せず巻き込まれずにいたからです。
 平和憲法は、第二次世界大戦をはじめとした多くの戦争経験や多くの戦死者、尊い市民の犠牲のもと、勝ち取る事ができました。
 私たちは学校の義務教育で歴史を学びます。歴史の勉強とは、単なる年号や出来事を暗記するだけではなく「過去に日本が歩んできた悲しい出来事を繰り返してはいけない」ということを学び、平和の尊さを次世代に繋いでいくためのものでもあります。
 組合では例年夏に「平和に関する取り組み」をたくさん開催していますので、過去・現在の出来事について学び、平和を掴み取っていきましょう。

終戦年である1945年の…知っておくべき出来事
◆1945年3月10日 東京大空襲………死者10万人以上
◆1945年6月23日 沖縄戦終結日……死者20万人以上
◆1945年8月6日 広島に原爆投下…死者14万人以上
◆1945年8月9日 長崎に原爆投下…死者7万人以上
◆1945年8月15日 終戦日

原水爆禁止世界大会in長崎
現地で見て、聞いて、感じたこと

無関心やめ関心持とう
 【林致寛・本木】まずは皆さんのご支援により原水爆世界大会に参加出来たことに感謝を申し上げます。また、皆さんが心を込めて折って下さった折鶴を、無事に長崎に届けたことを報告します。
 長崎原爆は一瞬の爆風で75,000人が死亡。また、その場を生き延びた方々も熱線で全身に火傷をし、10日以内に75,000人が死亡。長崎市24万の人口の内、約15万人が亡くなり、街は悲惨な状況となりました。
 平和公園にある「平和の泉」には当時9歳の被爆者の証言が書いてありました。【のどが渇いて溜まりませんでしたので、水を汲みに行ったら、油のようなものが一面に浮いていました。それは空から降ったものだそうです(中略)どうしても水が欲しくてたまらず、とうとうそれを油の浮いたままのみました。】皆さんはここから何を感じ、何を思いますか?
 私は、とても多くの事を感じました。命を一瞬で奪う破壊兵器である核兵器の恐ろしさとそれを使える人間の残忍さ、尊厳すら認めぬ無残さ、今も癒せぬ被爆者の肉体的・精神的苦しみ、戦争の愚かさ、虚しさ、怒り、命の大切さ、愛。エゴイズムや政治家の傲慢さや権力の乱用、それでもそれを乗り越えて行く民衆の力等。
 この小さな地球村が平和であるためには、そこに住む人々の寛容さと理解が必要だと思います。核の無い世界を実現するそのため、署名集めに取り組んで行きたいと思っております。無関心はやめ関心を持ち共に頑張りましょう。ありがとうございます。

後世に伝える事が大切
 【井出陽子・鹿浜】高校生の頃、修学旅行で広島・長崎を訪れたことがあります。当時はただ漠然と「戦争は怖い」と思っていました。しかし大人になった今、多くのことを知ることで、原水爆禁止に対する思いがさらに強まりました。
 1日目の開会総会では、会場の熱気と全国から集まった人数の多さに圧倒されました。被爆者の気持ちや立場になって問題を捉えることが重要であると学び、核兵器のない世界を目指して運動していくべき、しなくてはならないと思いました。
 2日目は「動く分科会・長崎の被爆遺構・碑めぐり」に参加。爆心地から約60メートル離れた北里小学校の防空壕を見に行きました。防空壕は狭くて暗く、そこに多くの方々が避難していたと思うと心が締め付けられる思いでした。ふと空を見上げると、2機の飛行機が飛んでいて、もしB29だったらと思うと…ぞっとします。
 今回、原水爆禁止世界大会に参加させていただき、日本が被害を受けて74年が経ってもなお核実験を繰り返し、核を保有している国があることに衝撃を受けました。
 目で見て、耳で聞いて学んだ「原爆による日本の被害とその凄惨な事実」を多くの方々に伝え、核兵器のない平和な社会になるよう運動していきたいと思います。ありがとうございました。

8月6・9日はなんの日か?
若者はその問いに答えられない

 【水越怜平・花保】「8月6・9日はなんの日でしょうか?」この質問を私は友人何人かにしてみました。しかし、答えられた友人はごくわずか。残念ですが、これが多くの若者の現実です。
 そんな中、私は足立支部代表として「去年は広島、今年は長崎の原水爆禁止世界大会」に参加させていただきました。実際に自らの目で見て耳で聞いてはじめて、どんな事が起きたのかをきちんと理解出来たと思います。
 今、日本は憲法9条改正など、戦争への参加を検討しています。しかし忘れてはいけません。戦争は戦争に直接関係のない人も大勢亡くなります。原水爆は一瞬で多くの人の命を奪います。生き残っても後遺症が残ってしまいます。こんな事を後世で起こしてはいけない、私は強くそう思います。では今私たち若い世代に何が出来るのか。答えは一つ、訴えるしかありません。一人でも多くの人に戦争の悲惨さを知ってもらい理解をしてもらい、戦争・原水爆禁止の署名をして国に、世界に訴えていくしかないのです。また、私たちの子や孫に核兵器の恐ろしさを伝え、平和に暮らせるよう署名を続けていく必要があると思います。
 今回、原水爆禁止世界大会に参加したことで改めて、核兵器の恐ろしさ、戦争のむごさを実感することが出来ました。貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。

今こそ一丸となろう
 【吉田博道・書記】まずこの3日間の感想を先に述べておくとするならば「衝撃」という言葉に終始します。
 また、3日間を通して感じたのは「一言で平和といっても人の数だけ平和の形がある」ということです。また、恒久的な平和というものも必ずしも同じ形ではないと思います。しかし、少なくとも私は、人を殺すことを是とするようなモノが平和に結びつくとは到底思えません。
 今の日本を実質的に動かしている者たちは日本を「戦争」ができる国にし、自分の私腹を肥やそうとしています。国は多額の軍事費を予算として計上していますが、これを社会保障費や低所得者に再分配すれば救われる人がいるはずなのです。
 我々が各々平和に対する草の根運動を無理のない形で続けていけば、平和は保てると思います。今後も平和運動に関して私達「仲間」が一丸となって参加し続けていく必要があると感じました。貴重な経験をありがとうございました。

皆様の思いが籠った折り鶴は千羽鶴としてまとめ平和祈念公園にある不戦平和之塔に納めました
皆様の思いが籠った折り鶴は千羽鶴としてまとめ平和祈念公園にある不戦平和之塔に納めました
原爆ファットマンの模型
原爆ファットマンの模型
長崎原水爆禁止世界大会の様子/世界中から多くの人々が集い団結
長崎原水爆禁止世界大会の様子/世界中から多くの人々が集い団結
原爆ファットマンの模型
11時2分で止まった時計
 
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