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戦後75年目となる節目の年
忘れゆく戦争の悲惨さ
次世代への継承が困難に

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千住曙町への空爆の様子/1945年3月の出来事

 時代と共に多くの戦争経験者が亡くなり、学校教育では昭和史が疎かになる傾向があり、戦争の恐さを次代に残せない環境になってきています。今年は戦後75年となる節目の年です。コロナで自粛の今、改めて「日本の平和がどのようにして得られたのか」を仲間の間で話題にしましょう。

【森和夫・憲法と平和対策部長】先日、2020年の平和祈念式典が広島、長崎で行われました。今年は新型コロナウイルスの影響により大幅に縮小しての開催。世界中の多くの人々に平和の尊さを伝えるべき貴重な機会が、この様な理由で制限されるのは仕方がないとはいえ、大変残念に思います。

平和を象徴する都市へ復興

 広島の記念式典にて松井市長は「当初、原爆により破壊された広島は『75年間は草木すらも生えぬ』と言われた。しかし今、見事に復興を遂げ、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市へと成長した。ここまで来るのには数多くの困難があった。この経験を決して繰り返してはならない」と力強く語りました。

核兵器禁止条約に言及せず

 また、広島・長崎の両平和祈念式典に参加、挨拶した安倍首相は「核兵器のない世界を実現する」との発言がありましたが、被爆75年の節目となる今年も、その理想への具体的な道筋は示さず、核兵器の開発や保有、使用を全面禁止する「核兵器禁止条約」に言及することはありませんでした。しかし、被爆国の日本こそ率先してこの条約に参加し、核保有国に条約参加を迫るべきではないでしょうか。最近の世論調査では、7割近くの国民が「日本は核兵器禁止条約に参加すべきである」と答えています。核兵器禁止条約は、核兵器のあらゆる活動を禁止する、歴史上で初めての条約です。8月6日時点で43か国が批准しており、50ヵ国が批准すれば効力を発効します。

平和を守り続け次の世代へ

 平和の世を生きる私たちにできることは一体何でしょうか。私たちは現在の生活を当たり前に送っています。しかし、その当たり前は、先人の血と汗の上に作り上げたものです。そのことを忘れ、今の平和に甘え、感謝を忘れ、それを自分たちの世代で断つことは許されません。この平和を守り続け、次の世代へ繋いでいく義務と責任があります。実際に戦争体験の無い私たちにできることは「伝えること」ではないでしょうか。核兵器や戦争の悲しさ、惨めさ、辛さを、目で、心で感じたことを、過去の過ちを繰り返してはならないというメッセージと共に、自分なりの行動と言葉で伝える。それを次の世代、その次の世代へと語り継ぐ。日本の原風景も、採択された核兵器禁止条約も、そうした人々の永年の願いや行動が形となった結果なのです。

各々が考え行動する世界へ

 今後、講演や駅宣は感染防止や参加人数に充分配慮しながら、時期を見て再開予定です。大変なご時世ですが、この自粛期間を前向きに捉え「学びの時間」に充て、活動が再開した時により良い状態で臨めるようる準備をしておきたいと考えています。私たちに「今」できることはあるはずです。それを一人ひとりが考え、自分なりの行動で発信できれば…。そんな世の中にしたいものです。

足立区と戦争

■足立区地域の空襲

 昭和19年から1年足らずの間にB29による爆撃が13回以上行われ、足立区地域ほぼ全域が被爆しました。

■爆撃機B-29の飛来

 対日本連合軍がマリアナ諸島を占領すると東京は「アメリカ軍爆撃機B-29の航続圏内」に入り、上空にその姿を現しました。それから終戦まで、断続的に足立区は空襲を受けました。

■学童疎開の実施

 戦争が激しくなると、都市部に暮らす学童を空襲から守るため、地方へ移り住ませる計画「学童疎開」が実施されました。足立区では昭和19年頃から順次開始し、区内の全ての国民学校役6,500名の学童が「長野県長野市」へと疎開をしました。また、疎開先では食料の不足、不衛生な場所での生活を強いられ、子ども達を苦しめました。

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昭和20年5月25日、26日の空襲時に撃墜されたB-29が入谷町に墜落。その付近に住む方が保存していたプロペラの一部 昭和20年4月13日の空襲時に墜落したB-29の搭乗員を慰霊する「無名戦士の墓」の碑の部分。北加平町に建立されていた。

2020年本部教宣部主催 平和共同取材
当事者であるという意識を再認識

 7月11日(土)東京土建本部にて「平和共同取材」を開催。コロナが猛威を振るう中でしたので、三密を避け「各支部から1人」が参加し、総勢38人が集まりました。

【細谷孝一・皿沼分会】講演は午前と午後の二部構成。はじめに戦災資料館館長の吉田裕氏より「総務省の調査では戦後生まれは84.5%、戦前・戦中生まれは15.5%が戦時の詳細を知らない」との話があり、史実が忘れられつつある現状について説明がありました。
 午後に入り横田基地の撤去を求める西多摩の会の橋美枝子氏、横田基地周辺の水汚染を知る学習会実行委員会の根木山幸夫氏による講演が行われ「横田基地近くから有害物質が検出、多摩地区の水道が汚染された。そして普天間基地からは泡消火剤が流出し下水溝から街中に泡が溢れ返った。また、他基地ではオスプレイの騒音や墜落の危険なども問題となっている」との話があり、現地住民がいかに困り深刻な問題であるかを学びました。
 米軍基地問題はニュースで度々目にしますが、これまでどこか他人事のように思っていました。しかし、自身も日本に住む一員として「自身の問題であるというこ」とを認識し、戦争の愚かさ、その怖さを次代に繋げていかなければいけないと感じました。

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上空で訓練するオスプレイの様子
※羽村市平和委員会提供
リニューアルした戦災資料館の内部
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