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戦後78年 祖母から伝え聞いた戦時下の真実

 1945年、第二次世界大戦終結。沖縄は米国の施政下におかれた後、1972年に日本へ返還されました。戦後の沖縄で生まれ育った波平委員長に、現地で伝え聞いた沖縄戦争について伺いました。

波平委員長が語る沖縄戦争
 【波平永・足立支部執行委員長】今から63年前、沖縄戦終結から10年程が経った頃に沖縄県読谷村で生を受けました。幼少期は近所の米軍飛行場で薬莢を拾い鉄くず屋に売ったり、パラシュートを盗んでテントにするのが日常。また、パラシュートが降りてくるのを見計らって畳みに行き、米兵からお小遣いやお菓子を貰って過ごしていました。私の記憶にある米兵はとても優く、車やバイクの運転を教えてくれたり当時贅沢品であったソーセージなどを食べさせてくれました。私を育ててくれた祖母がよく戦時下のことを語ってくれました。祖母は3回捕虜になったのですが、その度手厚くもてなされ、上等な毛布と食糧を持たせて返してくれたと言います。また、こうも言っていました。本当に怖いのは日本兵であると。当時、民間人は防空壕やお墓に隠れていたのですが、日本兵はそれを引きずり出し、男は殴り女は慰み者にしていたそうです。一方、米兵は人が外に出たのを確認し、防空壕を破壊したそう。祖母の話で特に印象深かった話が二つあります。一つは父が事故に遭い手の指をなくし、ももの筋肉を断裂した時の事。放っておけば命は無かったであろう父を救ったのは、なんと米兵でした。設備の整った病院で治療してくれたので、何とか一命を取り留めたのです。もう一つは日本兵の記憶。カップルが隠れているのを見つけた彼らは、2人を引きずり出し衝 撃的な一言を発します…「ここでまぐわえ」。反抗すれば殺されてしまうため仕方なく行為に及ぶカップルとそれを笑いながら見る日本兵。そして、ことが終わると2人は殺されてしまいました。もちろんこれらが戦争の全てではなく、あくまでも一つの真実であり、一つの側面です。私に言えるのは『戦争は二度と起こしてはいけない』と言うこと。我々には心があります。会話ができます。想いを伝え、歩み寄り心を通わせることができるはずなのです。

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