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過去から学び平和守る
原爆被害者は私を最後に…
命を賭したバトンを次代へ

ビキニ事件とは?
 1954年3月1日、アメリカは太平洋ビキニ環礁にて広島型原爆の約1000倍の威力をもつ水爆実験を実施。マーシャル諸島の人々や多くの日本漁船が死の灰を浴び被爆しました。

第五福龍丸とは?
 静岡県焼津のマグロ漁船・第五福龍丸は、アメリカの危険指定区域外で操業していたにも関わらず被爆。無線長の久保山愛吉さんは「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」と言い残し亡くなりました。

ビキニデーとは?
 久保山さんの遺志を引き継ぎ、世界中から核兵器廃絶を願う人々が集う催しです。例年2月末〜3月1日に行われ、今年も足立支部を代表し3人の仲間が焼津へと赴きました。

得難い経験を多くの仲間に
 【斉藤伸一・江扇分会】ビキニ岩礁水爆被災から70年。初参加の私は、現地で見聞きする多くの真実に衝撃を受けました。
 全体会での共通テーマは「ストップ戦争・日本国の核兵器禁止条約への参加・水爆実験被害者全員求済」をメインとした内容。その中で、リトアニアのゲディミナス・リムデイカ医師による「核兵器は廃絶できます。世界中のあらゆる人を友人に。皆さんにはその力があります」との発言が心に残り、今も忘れることができません。翌日は久保山愛吉さんの墓前までを潮風を浴びながら行進。大混雑の中でしたが、手を合わせることができ感無量でした。
 参加してみて特に印象的だったのは、学生を始めとした若い方々が多く参加していると言うこと。平和を愛し守る気持ちを引き継げていると分かり、安堵するとともに心強く感じました。そして、日本政府は核兵器禁止条約に署名しないと世界に取り残されてしまう事に早く気付いて欲しいです。
 情報として知っていても、現地に行かねば分からぬことは多くあります。この経験はとても得難く、今後機会があればぜひ若手の仲間にも参加してもらいたいと思います。

広島と長崎以外の被爆者達
 【藤野美和・花畑分会】支部の仲間たちと共に、初となるビキニデーに参加しました。1日目は講演と分科会に参加、2日目は世界中から集まった皆さんと共に行進しました。
 1日目の分科会ではビキニデーと原水爆について学習。聞き慣れないワードでしたが、入門編とも言える内容に理解を深めることができました。被爆と聞くと、広島と長崎を思い浮かべるかと思いますが、それ以外にも多くの方々が被害に遭っていたという事実を知り、いたたまれない気持ちになりました。
 一番驚いたのは、世界的に有名な怪獣映画である「ゴジラ」がビキニ事件を切っ掛けにしていたこと。今後、改めて映画ゴジラを見ると共に、水爆実験被害に遭われた第五福竜丸の展示館に行ってみたいと思います。

声あげられぬ無言の被害者
 【保坂達也・書記局】 1日目は全国集会に参加した後、7つの分科会に分かれビキニ事件と原水爆禁止運動について、映像とグループ発表を交えて学びました。2日目は焼津駅から久保山さんの眠る弘徳院までを、全国から集まった900人でデモ行進。午後は全体集会を行いました。
 特に印象的だったのは1日目の分科会。日本人で漁に出ていた船だけでも約千隻ありましたが、当時の報道では第五福竜丸のみが話題に。他の方々は、被爆したことが知られてしまうと「マグロを保障なく廃棄せざるをえなくなり生活ができない」ため、声をあげられなかったそうです。
 米国は日本政府に対しわずかな見舞金のみを渡し解決。被爆者は声も挙げられず、日本政府は大々的に公表することなくうやむやに終わらせました。被爆者の無念さを考えると心が締め付けられます。原爆は絶対に使ってはならないと、改めた考えさせられた2日間となりました。

足立支部を代表して3人の仲間が静岡県へ/(右から)斉藤伸一副委員長・藤野美和女性の会会長 海沿いの焼津を平和訴え900人で行進
世界中から平和愛する仲間一同に会す 久保山さんの墓前に薔薇が献花される
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