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私のふるさと

山形県最上郡
学校に行かず畑仕事や馬の世話
菅 勉(関原分会)

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菅 勉さん

 私は山形県最上郡最上町という山形県では北寄りの自然の多いのどかな町で育ちました。私の実家はかやぶきの家で築200年。小さい頃は家の手伝いと遊びに夢中で、きらいな勉強は全くしませんでした。親が農業だったこともあって学校には家の手伝いで通うことが出来ず田んぼや畑仕事、馬の世話をする毎日でした。時には馬を引いていて蹴飛ばされ、馬に逃げられたりもしました。

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 遊びはメンコやコマ、野球などをして遊びました。近くに川もあったのでよく川に釣りに行き、カジカやハヤを取って夜のおかずにしました。野球の道具はいつも手作りでバットも一から自分たちで削って作りました。現代の子ども達と比べるとずいぶんたくましく遊んでいたような気がします。名産は米や山菜、温泉などがあり、最近ではアスパラガスの生産が盛んになり、一大産地に向けた取り組みが行われているようです。
 16歳の春に成功を胸に誓って上京し、大工の小僧となりました。

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最上郡の大自然

 毎日夜11時まで働き、飯場に泊まる日々。昭和39年に起こった新潟地震のときに現場の足場にのっていて、誰かが揺らしているのかとみんな勘違いをして怒鳴りあったことが昨日のように感じます。私ももう66歳になります。今は人生80年。一端の大工として生涯現役で頑張ります。

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