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私は青森県三戸郡南郷村(現・八戸市南郷区)という山と山の間を流れる川に沿って民家30数件しかない小さな山村で生まれました。父はくじら漁、母は農家、弟2人と妹1人の6人家族でしたが、父は遠洋漁業で、ほとんど家にいませんでした。小さな村の中でも私の家は2番目に貧しい農家で、小学生の時に母の稲刈りをしている姿を描きましたが、クレヨンが黒と肌色の2本しかなかった為、絵がわかりづらくなってしまい、先生から山に豚はいないぞと言われました。それを聞いた母は学校に怒鳴り込みに行ったのを覚えています。それ以来私は学校が嫌いになりました。今でも忘れませんが父が2年に1度、帰ってきたときに買ってくれたエナメルの革靴がとても嬉しかった思い出として残っています。 そばが故郷の名産で、正月には母が手打ちそばを打ってくれました。中学を卒業し、木造大工となり4、5年の間、修行を積み上京しました。
妻との出会い
数年後、一時的に故郷に戻り、自分の実家を私と弟2人で建てました。その時、故郷で妻と出会いました。自分はまた東京に行きたい。もし一緒に行ってくれるならと伝えました。当日、4号の道端に大きな紙袋を両手に持った妻が立っていました。最高に嬉しかったことを覚えています。それが家内との馴れ初めです。
26歳で独立
故郷の中学卒業したばかりの子を4人連れて、群馬県の新幹線トンネル工事に入りました。自分は現場、妻は飯場のご飯炊き、それが長く続きました。 福島の新幹線工事も行うようになり群馬と福島を行ったりきたりの忙しい毎日でした。大変な生活の中でも4人の子供に恵まれ、子供が大きくなるにつれて、環境の悪さに気がつき、故郷の親に預けました。
出稼ぎ人生の始まり
お盆と正月しか子供に会えない。でも妻はそれを我慢しご飯の炊き出しを続けてくれました。お盆や正月になると飛ぶように故郷に帰りました。でもまた4、5日すると仕事に戻ります。会う楽しみの倍の辛さの子供との別れがそこにありました。山の上からちぎれるほどに手を振る子供たちを見て、妻はこんな生活はもう嫌だと泣きました。 私と家内は子供の卒業式には行ってあげようと休みをもらい、故郷に戻った、その時の事です。小学6年と5年の娘たちが私たちを各教室に連れて回りました。「みんな、これが私たちの本当のお父さん、お母さんなんだよ。」と言って、自慢するように両手をしっかり握って連れまわりました。思わず二人で子供を抱きしめました。自分たちよりこの子達のほうがもっともっと寂しかったんだ。 その子達も今ではみんな結婚し、一人は私の会社を手伝ってくれています。 長い月日が過ぎ、10代からついてきた職人たちも40代、5、6人で始めた会社も60人になりました。 妻と二人で毎朝6時より職人を現場に送り出し、自分は外で、妻と娘は事務所を守る。こんな小さな家族経営の会社です。 そしてこの大都会に心のこもったすばらしい建物を。職人一人一人があの建物は俺が作ったんだと自慢できる様な建物をたくさん残す事を夢としたいと思います。青森の都会に。
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