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宮城県石巻市 浅草五重の塔が思い出一番 皆が待つふるさとはいいね 平文雄・江扇・左官
私のふるさとは、旧宮城県桃生(ものう)郡河南町前谷地という所で、現在は石巻市。見渡す限り田園地帯で、実家は米と養蚕農家。夏休みになると毎朝かごを背負ってお爺さんと桑の葉を取りに行くのが日課に。秋は先生の指導のもと、農家の田圃でイナゴ捕り。売った代金はブラスバンドの楽器購入などに使われた。5月の農繁期になると中学生は1週間学校は休み。その頃祭りの企画で「たいしゃく様の奉納相撲」が復活。少年相撲に参加した。 中学を卒業する時は、農林高校の食品科にいって料理の道に進みたいと考えていたが、お爺さんから「文雄の頭じゃ高校は無理。手に職をつけて職人になれ」と母の従兄弟がやっている左官屋をすすめられた。叔母さんに連れられ東京足立区の下沼田に来たのが15歳、東京オリンピックの年だった。 当時は野丁場の仕事が多く、青山の都営住宅や柏の豊四季団地の仕事について行った。4年間で年季が明け、1年お礼奉公後、札幌オリンピックの選手村の仕事を1年間やった。その後下沼田に戻ってから現在に至る。
社寺・仏閣の仕事を数多く手がけた。特に浅草の五重塔の中階段をやらせてもらったのが一番の思い出。塔の中心の御柱には関わった職人全員の名前を入れてくれた。当時は公務員の給料より手間が良くて、よい時代だった。 以前、父親に「平家」のルーツを聞いたが、お寺が火事になり、過去帳が全部焼けてしまったらしい。もったいない事だと思った。 後取りの甥が会社勤めになり、自分の手では農業をやっていない。 「ふるさとはいいね。まだ姉や甥っ子たちが待ってくれているから。今年5月に母親が95歳で亡くなったので、新盆です」
宮城県石巻市のホームページ