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長野県/大分県速見郡育ち 今と昔と大事な想い出 書き綴る感謝の言葉 増子今朝男・中梅分会
私のふるさとは長野県下伊那郡。あんこ作りを生業にする家に生を受け、6歳頃、開拓団として大分県速見郡へと移住しました。農業のため、三百坪を三百円と格安で土地を購入しました。志同じく移住した男性4人も各々土地を購入するも「一人で開拓は無理」と、バラックにて共同生活をスタート。豊かな生活を夢見ての移住でしたが、電気も水道もない状態での開墾は楽ではありません。冬は小学校まで山を一時間以上カンテラを頼りに歩かねばなりませんし、雨が降れば川のようになった斜面を赤土に足を取られながら登ります。それに、畑が完成するまでは8年を要しました。ですが山頂の眺望やドラム缶風呂は素晴らしいもので、今も忘れません。また、夜空に星が所狭しと輝く様は、まるで大きな宝石箱のようでした。
中学卒業後は、恩師の紹介で左官見習いとして上京し、月1万円の収入。当時の建築現場はどこも危険で、足場は丸太を縛っただけのものでしたし、土間工事は連日腰を曲げるため朝になると腰痛で立てません。また、土壁の混ぜが甘いと「こんなもん使えるか」と、足場に上がった親方が土塊を投げる光景が当たり前でした。 そうして気付けば4年の年季が明け、妻に出会い、とんとん拍子で結婚して足立区へ引っ越し。繰り返される拡大訪問に根負けし組合に加入しました(笑)。そこからはまさに怒涛。分会役員からはじまり、最終的に支部執行委員長に就任しました。これも仲間や妻の協力がありできたと、感謝しています。 恥ずかしいので面と向かっては言えませんが、元気なうちは仲間と組合運動をしていたいと思っています。先立った妻、支えてくれる家族、いつも身近な存在でいてくれる仲間達。出会ってくれて本当にありがとう。
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