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秋田県横手市 思わぬことで今の仕事に 就職先が二度三度変わった 高橋康雄・タイル目地(寺町)
故郷は秋田県横手市平鹿町です。リンゴやぶどうが獲れ、あやめまつりも今年で35年目です。横手ならかまくら≠セね。父は岩手の炭鉱で働き、私が3歳の時になくなりました。塵肺で、今だったら労災です。 母は父が亡くなる前から、家で収入が得られるように、たばこ・塩・切手などの小売店を開きました。母は、私が生まれた頃に失明しましたが、かごを担ぎ、杖をついて品物を売り歩き、その間は姉が店番と母親がわり。小学高学年から中学まで、私がかごを担いで仕入れました。ただ店の支払いを米でする人が多く、代金≠フ米を担いで町で現金化。 行き帰りが重くてね。中卒で即就職でした。横手の職安から求人募集があり、皆は「東京」ばかり行きたがり、私は素直でないため遠い名古屋の会社を選びました。ところが記入間違いなのか、面接資料には東京の鉄骨鳶。仕方なく上京し上野駅まで来ると、東京の親戚に囲まれて就職グループとはぐれ、結局親戚がやっている「タイル目地」の仕事に従事しました。
大林や大成のビル工事なども、足場は丸太で、縄で固定。 いつもとびの人が縄を持って足場を点検していましたね。当時はおおらか(いい加減)で、夜中でも現場の電気がついていていても不思議でなく、朝まで酒を飲んで来る人もいました。 現場で雨は大敵でしたので、「シートをかけてもらえますか?」と頼んで付けてもらうと、他の職種の人から「よくつけてくれたな」と言われました。 当時、現場のなかで他の仕事を差別的に見たりすることが多かったですが、私は「どの人たちも、その仕事に精通したプロ」との思いで接していたので話が通じたと思っていますけどね。 故郷には甥や孫もいて、帰った時は気持ちよく迎えてくれるので、遠い感じはしないですね。 今思えば、父親が早く逝き、母はもちろん、一番上の姉にも本当に苦労かけたと思います。
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