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新潟県佐渡市 漁の父親、酔う自分は山畑 厳しい小僧時代に技術学ぶ 仲西文吉・西伊興・大工
佐渡市松ヶ崎が仲西さんの故郷。昭和7年4月29日新潟市に面した海辺の村で生まれ、実家は漁業と半農。 小さい頃は「何にもない所」で、かくれんぼや戦争ごっこなどで遊んだという。二人の兄は戦地(満州とフィリピン)にいて、働き手の父親は漁師専門。 仲西さんは船に酔うたちなので、もっぱら農業その他を一手にこなしていた。 海水を汲んで塩を作り、山に行ってまき取り、畑仕事。さらに父親の出漁の仕度から魚の水揚げの手伝いも。鰯やスケトウダラは沢山獲れたが、すぐ腐るので飼料にした。 男手は自分が一番上だったので、小学校6年頃から中学卒業まで、学校に行っている以外はほとんど家の仕事をしていた。「だから勉強は全然だめ」と言うが、そんな生活スタイルのためか、「中学生の頃は60キロの米俵もかつげる程、力はあった」という。 そんな文吉少年は学校ではガキ大将。 ただし、いじめられる子を守る側。いじめられそうになると『文ちゃんに言いつけるぞ』というと、いじめがやんだという。
16歳になり中学卒業とともに就職。東京・西八丁堀の家具屋にでっち奉公した。親方も佐渡の出身で、地元の学校にテーブル等を寄贈するほどの有名人。ところが厳しい親方で、1年間は手元や材木運びだけで、仕事は見ておぼえろ。ただ「まるっ刃はダメ」とカンナの刃研ぎは厳しく鍛えられた。 仲西さんは「負けず嫌いだから」と、一生懸命頑張ったという。 寝床は作業場で、365日作業場の棚から布団を下ろしてゴザの上に敷いて寝た。「夏の夜は南京虫も出てね」 四年間小遣いはほとんどなく、作業着が破れれば自分で繕い、食べ物、着るものも苦労した。 西八丁堀は東京駅に近い。駅の横にある広場や皇居前広場にネットを持って、先輩たちと早朝野球に行ったという。 戦争が始まる頃、田舎では食べ物には困らなかったが、火箸や金物が全部持っていかれて、「それで勝った、勝ったと言っていてね。もう2度と戦争はやって欲しくないね」
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