地図
佐藤美千子
入江 真
宮城昭治
木村美紀
飯村尚美
関口鐵夫
佐々木文雄
遠藤茂雄
近藤定夫
田中 健
神田春之
有川美秋
笠原美津子
佐藤二九二
今田玲子
横山良二
増子今朝男
高橋 昇
小野寺春子
深沢 洋
山形県最上町 山と田畑があれば食っていける 柴崎充さん(新中川分会)
私は昭和32年生まれ、戦後ベビーブームの少し下の世代になります。ふるさとは、ダム建設で揺れている山形県最上町です。 昭和39年、私が7才の時、生まれて初めてテレビを観たのが「東京オリンピック」この時から、文明という波に呑まれ生活が一変しました。 多少の山林と田畑で暮らしていました。ありとあらゆる電気製品や車に囲まれ、それを買うため、現金収入を得るため町へ働きに出るようになりました。 小学生の時に亡くなった親父と一緒に、山林の下草を刈りに出掛けたとき「おらの家はこの山と田んぼがあれば食っていけるんだ」と言っていた事を思い出します。 あさ子ハウス(※参照)の元住人、熊谷あさ子さんと同じ事を言っていたと、今になってつくづく思います。 ダムの寿命は、100年と言われています。山に保水力の強い樹木を植林する事で、100年後にはコンクリートよりも立派な自然ダムになると言うのが、私の持論です。 今さえ良ければ、今お金が欲しい人達には理解しがたいようです。 ダムではないが、福島第一原発事故によって近隣地域は、田植えが出来ずに田畑は荒れ果て、大切に育てた牛や豚は出荷出来ずに自らの手で殺処分。住む所を失い、帰宅出来ない日々が続く現状を見て、死んでしまった親父は天国できっと、こう呟いているにちがいない。「言わんこっちゃない」と。
※あさこはうす 熊谷あさ子さん所有の土地・建物は、大間原発建設地内に位置して「炉心設置予定地から200m」のところにあります。 祖父から土地を引き継いだ熊谷さんは「土地と海があればどんなことがあっても生きていける」と土地を手放すことを拒み、多くの嫌がらせを受けている中で家を建てました。 その訳は、自分で耕した土地に家を建て、多くの人たちが集まって大間原発建設に反対してほしいという理由だからです。
〈最上町〉 山形県の北東部にあり、秋田県と宮城県に隣接しています。人口約1万人。農林業と観光が盛んな町です。 周囲を奥羽山系の山に囲まれた盆地にあり、地理的に他の町村とは隔絶している。 夏はやませになりやすく、冬は豪雪地帯。四方が峰によってさえぎられているため、かつては「小国」と呼ばれていました。 観光資源の一つ、赤倉温泉は、万病に効くと古くから言い伝えられています。併設されたスキー場もあり町内外から多くの観光客が訪れています。
山形県最上町のホームページ