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石川県宇ノ気町 内灘闘争、石綿の被害 国との闘いが今に続く 中村安治・建設機械運転・椿谷在家
私の田舎は石川県河北郡宇ノ気(うのけ)町。金沢と能登の中間に位置し日本海沿岸です。前を河北潟(かほくがた)、後ろには日本海が迫っていて、海岸に沿って幅1〜2キロメートル、長さ15キロメートルの大砂丘に囲まれています。だいぶ経ってから河北潟が干拓されて農地が増えましたが、それまでは県道をはさんだ家々が立ち並ぶ近辺には耕作地はなく、潟の周りは葦が生い茂り、夏はホタルがたくさん飛ぶ場所でした。 私は4人姉弟の末っ子で、3歳の時母が乳がんで亡くなり、手がかかる私だけ母の実家に引き取られました。後年、姉たちと話し一人引き取られ一番不幸と思っていたら、「一番幸せだった」と。 父親は11月から翌年4月まで7人乗り漁船で、山口県へ鰯漁。夏になると北海道近海へと1年の大半は漁に出かけ、正月も夏休みも家にいない人でした。
中学2年の頃、隣の内灘(うちなだ)村で我が国最初の全国的基地闘争、「内灘村米軍射撃場接収反対闘争」が起こりました。国から巨額の補償金を持ちかけられても「金は1年土地は万年」のスローガンで、射撃場反対と土地返還を求める闘いでした。 中学卒業で漁師の道へと思っていましたが、漁業がすたれ、町に働きに出ました。 金沢の自転車屋、浅草のオートバイ屋を経て、広告代理店に勤務しましたが、自分に向いていなく辞めました。同郷の方のつてで「これからは土木関係がいい」と清水建設の一次工事会社に入る事ができました。杭打ち工事は11月から4月が主で、その他の時期は建築、内装工事の作業へ。防塵マスク着用の指示もなく、石綿粉塵を浴びてまさかのアスベスト被害を受けてしまいました。現在は首都圏建設アスベスト訴訟の共同代表として行動しています。 故郷は、仲のいい中学時代の仲間に会えるので、いつも楽しみにしています。
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