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岩手県陸前高田市 転居を続け樺太まで 戦争で食糧難の小学時代 村上幸夫・新中川・左官
岩手県陸前高田市(旧気仙郡竹駒村)生まれです。父親は農業をやっていましたが、そのうち炭鉱の仕事などで転々とし、北海道芦別炭鉱から美唄炭鉱、その後手間が良いとの話で樺太の炭鉱に移りました。樺太には3ヶ月程度いただけでまた芦別に戻り、そこで小学校に入学しました。 しかし父親の仕事のたびに転校させては良くないということで、小学2年生の頃、大船渡にある親の実家にあずけられました。 父親はその後も山形などで仕事をしたあと、竹駒村の隣、矢作村で炭焼きと農業をやるようになると、私は矢作村の小学校に転校し、ようやく家族で一緒に生活するようになりました。私が3年生の時です。 遊び盛りでしたがとにかく戦争一色の中だったので、学校では勉強などろくにやらず、食料増産のため近所の田んぼのしろかき、田植え、草取りなどの農作業に動員されました。 食料はほとんどなく、山に入り桑の実などなんでも食べ、よく病気にならなかったと思います。 農作業がない冬は逆に、学校によく通いました。 学校では竹やりの訓練があったりしましたが、授業は先生が作ったガリ版刷りの教科書で勉強しました。
5年生で竹駒小に転校、6年で終戦を迎え、高等小学校に2年間行った後、近所の人のツテで北海道富良野で左官修行に出ました。 その後、家に戻り山を開墾する父親の手伝いや、再度左官の修行をしてから東京へ。 町営住宅の現場に入りましたが、仕事のレベルが違い、一般の手間の6割程度しかもらえずショックでした。 「ふるさと」と言っても感覚はありませんが、とにかく一番ひどい時代でしたので、食べ物がなく苦労したことが思い出です。
岩手県陸前高田市のホームページ