地図
佐藤美千子
入江 真
宮城昭治
木村美紀
飯村尚美
関口鐵夫
佐々木文雄
遠藤茂雄
近藤定夫
田中 健
神田春之
有川美秋
笠原美津子
佐藤二九二
今田玲子
横山良二
増子今朝男
高橋 昇
小野寺春子
深沢 洋
私は栃木県栃木市で生まれました。家はわらぶき屋根の家で敷地内にお宮と蔵もありました。わらぶきの屋根は天井が無く、寝ているときにはよくアオダイショウという蛇が布団に降ってきました。
小さい時は馬とびや秋口はわらでかまくらを作ってかくれんぼ、定番のチャンバラ、ベーゴマ、メンコなどで遊びました。子どもの時に自慢だったのが鯉のぼりで、棒の長さは15m、鯉の口の大きさも1・5mくらいある5匹の鯉のぼりでした。
しかし、私が小学校1年の時に台所から火が出て、家は全焼しました。燃えているときに2mくらいあるアオダイショウが20匹くらいの群れをなして逃げていきました。小さい時だったので火事もアオダイショウも楽しかった気がします。ただ、自慢だった鯉のぼりも一緒に燃えてしまい、悲しい思いもしました。
今も昔もかんぴょうが名産で、子どもの頃はよくスイカと間違えてかんぴょうを盗み、食べようと思い割ってびっくりすることも少なくありませんでした。昔は食べるものもなかったため、わんぱくだった私はナスやきゅうり、トマトを畑から盗んでよくおやつ代わりに食べました。野いちごやザクロ、アケビを取りに山に行き、おやつで食べたのも良い思い出です。中学生の時には雨の日にマラソン大会に参加し、風邪を引いて肺炎を起こし入院しました。その時に心臓病をわずらいました。
16歳のときに心臓病の治療の為、東京に出てきました。東京大学病院に行き、そのときは医者から20歳まで生きられないと言われました。16歳から19歳までは医療関係の従事し、19歳の半ばで大工の仕事を始めました。材木屋のおやじが新築のきざみをしているときの音と小僧が叩いている音が全くの別物でびっくり。早く一人前になりたいと思ったものです。
その後、心臓病も悪化せずに22歳で結婚。3人の子どもにも恵まれ、男の子3人の「ガキ大将」として頑張ってきました。子ども達もそれぞれの道に歩みだして少しさみしくなった今日この頃です。
栃木市ホームページ