地図
佐藤美千子
入江 真
宮城昭治
木村美紀
飯村尚美
関口鐵夫
佐々木文雄
遠藤茂雄
近藤定夫
田中 健
神田春之
有川美秋
笠原美津子
佐藤二九二
今田玲子
横山良二
増子今朝男
高橋 昇
小野寺春子
深沢 洋
宮崎県えびの市 現場は日本全国、離島へも 歴史ある実家、絶やしたくない 奈良原徳貞(皿沼分会)
宮崎県えびの市(旧西諸県郡飯野町)出身で、地理的には熊本県と鹿児島県に挟まれた盆地です。 実家は農家で、田畑は3町歩(3ヘクタール)近くありました。 私は5人兄弟の次男坊で、小学生の頃から田植えや稲刈りでは、いっぱしの働き手の様に、手伝いました。 裏は山、前は田んぼで、門構えの家で女中さん2人が住み、家事や田畑の仕事、私たち子どもたちの面倒を見てくれました。 農作業の手を確保するためもあっただろうけど、先祖が薩摩島津藩の武士だったので、その慣わしでそんな生活スタイルが残っていたのかなと思います。 家が茅葺き屋根を改修した時、大工さん達がお茶を飲みながら家の作り方、道具の使い方を教えてもらいました。 建築の大工さんになりたくて、中学校を経て訓練をうけ上京しました。就職した所は墨田区のサラリーマンで一年後、会社移転を機に希望退職し、同僚と亀有の会社へ。 いろんな人と知り合い三河島へ転職。 当地で知人及び食堂の女将から塗装と防水の仕事の紹介をうけ、修行4年を経て、足立区のアパート暮らしと同時に独立しました。
月の半分は出張 家族に苦労かけた
その後地域の人達に恵まれ、プールの塗装や建築の塗装防水を請けることがでる様になり、日本中飛び歩いていました。 遠くは東京から1200q離れた硫黄島プールの他、各島々で仕事をしました。 都内ではホテルや学校施設プール、地元では総合スポーツセンター、蒲原中学校、淵江高校、大谷田保育園等のプール塗装防水工事を手がけました。 月の半分は出張で家族には随分苦労をかけたなと思っています。 田舎の実家は歴史もあるし、絶やしたくないですね。
◇ ◇
奈良原さんの家系をたどると江戸時代末期の「奈良原喜左衛門」という名前にたどりつきます。幕末、神奈川・生麦村付近を薩摩藩の大名行列が進む中に、正面から馬で分け入ってしまったイギリス人4人が、島津久光の乗る駕籠近辺にまで来た所で、最初に切りつけた供回りの藩士が、「その人」なのです。 奈良原さんは、「いわば“加害者”の立場だったので、あまり表ざたにはしていない」との事です。歴史がいまにつながっている事を実感した取材でもありました。
宮崎県えびの市のホームページ