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宮崎県串間市 台風で家が全壊 人に恵まれここまできた 鶴武則さん・皿沼
私のふるさとは
私の故郷は宮崎県串間市本城港です。黒潮と南国の陽光に恵まれた日南海岸の最南端に突き出たこの半島のほぼ全体に広がる御崎牧場には、野性味溢れる御崎馬達が放牧さています。また志布志湾の中向かいにはロケットの発射台もあります。 今は過疎化で高齢者ばかりで、中学校も閉校となってしまいました。寂しいものです。
台風で家が全壊
当時、一番の厄介者は台風でした。海岸端の小さな我が家でいつも私と親父で雨戸を押さえていたことを今でも思い出します。昭和34年頃には台風で家が全壊し、大変でした。
私が小さい理由
私は4人兄弟の長男で親が行商だったので、親が面倒を見られない時にはいつも弟達をおぶっていました。だから身体が小さいのかなと・・・今ではそう思います。
市の展示会入選
子供の頃から物を造ることが好きでした。中学に入ると木工部に入部、夏休みも冬休みも休まず色々なものを作っていました。中三の時には市の中学校展示会に自作の机を出品、見事入選することが出来ました。この経験が今の仕事へと繋がっています。
家具屋に弟子入
私たちの時代は半分以上が集団就職をする時代でした。私は訓練所に行き、卒業後、学校からの勧めで宮崎の家具屋に弟子入りしました。朝5時から便所と工場の掃除、夕方には風呂焚きと夜9時までの店番、2年間ほとんど自分の時間はありませんでした。仕事場は宮崎県庁から200メートル、田舎者には最高の場所・環境でした。昼間は毎日パンツとランニングでリヤカーを引き、町中を配達して回り大変でしたが、それも今となっては良い思い出です。
20歳の夏に上京
20歳の夏でした。東京に行った訓練所同期の友達と、田舎の駅でバッタリ会いました。友達の東京での生活を聞き、自分も東京に行って稼ぎ、親を楽にさせてあげたいと思いました。そしてその年の秋、東京に向かいました。日活映画で観た東京と違ったのでビックリしました。
出会いに感謝
良い社長に出会い、東京に来てまもなく我が家を購入、見合いで女房をもらいました。 次の会社で工場長を14年し、その後40歳で皿沼地域で家具屋を独立しました。第二次オイルショックの頃でしたが女房に支えられ、また良いお客さんに次々と恵まれました。若い職人さん達も皆、10年から20年近く続けてくれています。ありがたいことです。
分会活動楽しい
この春、子供に会社を譲ります。田舎は遠くなりましたが、皿沼分会の皆さんにいろいろな企画のお誘いをしていただき、東京に来てからも楽しく過ごしています。 今は組合活動の一環として会計監査をやらせてもらっています。これからも組合活動に励みたいと思います。
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