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北海道旭川市 なにもかもが凍りつく氷点下のふるさと 齋藤孝和さん・綾瀬
私のふるさとは北海道旭川です。日本の最低気温マイナス41度を記録した場所です。明治35年1月25日には、氷点下41.0度の日本最低気温が記録されました。これは富士山頂の最低気温記録、氷点下38.0度(昭和56年2月27日)よりも低い気温です。日本の山岳史上最悪の遭難事件(八甲田山で冬期行軍訓練をしていた210人中199人が凍死)が起こったのも、この日のことです。今回は私のふるさとであるこの寒い旭川について書かせてもらいます。
私の小学生時代、小学校の始業時間が遅れることが多くありました。朝6時時点の気温が「氷点下20度だと始業時間1時間遅れ」「氷点下25度だと始業時間2時間遅れ」というシステムで、そんな時は登校時間まで隣の友達の家でトランプなどをして遊んでいました。それだけ寒い地域なので、家では居間のストーブを夜中も焚き続け暖をとりましたが、他の部屋にはストーブがなく氷点下になっていました。正月用に買ったみかんは凍ってしまうし、ビンの飲み物は凍ってふたが持ち上がってしまいます。凍ったみかんは皮を剥いてストーブの上にのせ、解凍して食べました。また、家には風呂がなかったので近くの銭湯に行っていました。歩いて3分程の場所でしたが、帰りの道中で風呂上がりの髪の毛が凍ってバリバリになってしまいました。そしてこの時期は皆車を洗車しません。車に付いた水が凍ってしまうから洗えず、町中は汚れた車が多かったです。
こんなに寒い旭川ですが、毎年2月に常盤公園で開催される冬まつりは楽しみでした。たくさんの雪像が作られ、中でもメイン広場に設置された巨大雪像は迫力がありました。巨大雪像はギネスブックに二度(1986年と1994年)載ったことがあります。二度目、1994年の雪像は「水原城」で、その大きさは「高さ30.29m・幅76.0m・奥行45.0m」、なんとダンプ7,400台分もの雪を使用したそうです。 そんな雪に囲まれた私のふるさと旭川も、地球温暖化のせいか今では氷点下20度以下になる日は減り、昔より楽になったようです。
北海道旭川市のホームページ