地図
佐藤美千子
入江 真
宮城昭治
木村美紀
飯村尚美
関口鐵夫
佐々木文雄
遠藤茂雄
近藤定夫
田中 健
神田春之
有川美秋
笠原美津子
佐藤二九二
今田玲子
横山良二
増子今朝男
高橋 昇
小野寺春子
深沢 洋
東京都足立区 生粋の千住っ子は 思わぬ縁で妻と組合に出合う 舛田吉二・江扇分会・大工
舛田さんは昭和18年8月18日足立区千住2丁目の生まれ。 赤門寺(勝専寺)から駅前商店街に出る左角が自宅です。 祖母が千住に住んでいて、祖父はお婿さんだったといいます。小さい頃はまだ木炭バスがはしり、焼夷弾の爆撃を受けたコンクリートの建物が、まだ壊れたまま残されていた時代。家の前には「ヨーカ堂」があり、その裏に千寿第一小学校(現千寿本町小学校)という、一等地に住んでいました。 もちろん千寿第一小学校に通い、その後、第15中学校に入りました。遊びはいろいろしたそうですが、印象的だったのは、千寿神社の山を崩して怒られ、千住の潤徳中学ができた時には、放課後校舎に遊びに入り、小遣いのおばさんに「入ってきちゃダメだよ」と、ここでも怒られたとのこと。 遊びというよりいたずらに近い。しかし舛田さんは「でも、どこからでも入れたんで何度も行ったね」と楽しそうに話します。また「私はしなかったけど」と前置きして、常磐線の鉄橋から荒川に飛び込んで遊ぶ先輩もいたそうです。 学校にはプールがなく、荒川によしずを張って、授業で泳いでいた時代。夏休みになると友達が田舎に行き、遊び相手がいず、よく大川町公園(千住公園)のプールに行って泳いでいたとのこと。1時間10円の有料プールだった。 大工職人への道は、親から「手に職があれば、食いっぱぐれがない」と勧められたから。 入職した先の親方は「見て覚えろタイプ」の人。教えてもらっていないのに「ウチノリヲ、ケドレ」と言われて分からないでいると、指しがねでケツをひっぱたかれたことも。 勤めた4年は苦労したといいますが、実は舛田さんの奥様は、その親方の妹さんです。縁とはどこにあるのかわからないもの。そのころ知人に土建を紹介されて加入するも、新聞と重い文鎮のような「東京土建足立支部組合員之証」が渡されただけで、自然脱退。ところが確定申告をしていなく、税務署から呼び出しの手紙が来たところで、頼ったのが東京土建足立支部。こちらも縁とはどこにあるか分かりません。
足立区のホームページ