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長野県朝日村 故郷は木曽義仲が命名 運よくブロック工で独立 柳沢英明・入谷舎人・ブロック
私の故郷は長野県東筑摩郡朝日村西洗馬(にしせば)。 ここの出身で有名な人は「上條恒彦」で、私より4歳下。 村の名前は、木曽義仲が京に上る時に留まり、朝日が最初に降り注いだからという言い伝え。西洗馬は、塩尻市に編入された洗馬(義仲の馬が強行軍で歩けなくなった時に泉で馬の足を洗ってやると元気になったとの謂れ)の西にだから。 多くの村が合併していく中、山が「資産」だと、合併を拒否したり話が進まない所も多数あり、朝日村も拒否した口。 実家は農業で米を作っていたが水はけが悪く、美味い米ができないため、松本平の米を物々交換して食べた。 10歳の時まで戦争で、鉄くずやまずい米まで供出させられた。空襲警報が鳴ると防空頭巾を被ったりしたが、爆弾は落ちてこなかった。毎日お腹が空いていて、山に入って食べられるものはなんでも食べたものだ。 高校の定時制を卒業すると、集団就職で上京し縫製工場で働いた。だけどミシンで縫い物をする仕事がいやで、1年で辞め、帰ってきた。 遊んでいてもしょうがないだろうと、紹介されたのが板橋区の建材屋。そのころブロックが出てきはじめ、その仕事の手伝いをやっているうちに、自分でやろうと、22〜23歳で独立。
27歳で結婚し、30歳で足立区入谷の土地を買って移ってきた。当時はブロック塀の仕事をしていると、近所から仕事の依頼が次々とあり、結局1か月間くらい居続けた所も。その頃はサラリーマンの3倍の手間になっていたね。だから本当に運が良かったと思う。縫製工場を辞め、建材屋に。そうしてすぐブロックが出てきた事。縫製工場にいたらどうなっていたか。 ふるさとの実家の隣近所がいなくなり、話をすることが少なくなったというし、時代が変わったという感じだね。
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